思考中。
どうアガコウトモ、どうモガコウトモ、我々は生を終える日が来る、来るんだ。
望もうが望むまいが。人に優しくしても人から罵倒されても結局は自己の命をどうするか?である。
そう、人生は自分自身で自分指針。
自らで行き先を決める、そして自らで決めた道に自らで向き合ってゆく。
これからの時代、「強さ」が求められる。
それは核兵器でもなく、高速ネット回線でもなく、拳の力でもなく。
僕の思う人間の本当の強さとは自己の弱さに向き合えることだと。
批判することは、大して重要ではない。
批判されたときにその人の本当の価値が問われる。
『確かにその通り、改めよう』
『いいや、まったく違う。僕はこうなんだ』
何でもいい。そう、話し合えるか否か?。
意見することより重要は、意見されたとき、である。
いじめ問題で思うは
「あの子の苦しみを気づけなかった」という親ならホント、その親はそれまでの人生が如何に傍観者だったかがわかる。
あなたは当事者なんだ。
先生ももっと反論してもいい。
「自分達に、躾まで求めないでください」と。
そして、あんなろくでもない先生がいるなら、無責任の塊の教育委員会なら、もっと若手の先生やミドルクラスが声を挙げないと何も始まらない。
テレビの中の人ではなく、あなた自身なんだ。
そして、コンビニ前のタバコヤンキーを注意する僕自身なんだ。
声を挙げれない自分自身、大勢に流れてしまう自分自身。
如何に向き合う事ができるか?である。
僕は今、本当に自分が花園へ向かってゆく後輩達とこの先一年間、向き合ってゆけるか・・・
今思考中である。
「いじめ」自殺を何とかするカギもここにある気がするんだ。
結局僕は子供達に、この国の子供達に、
『弱さを隠さず向き合って、そして笑い飛ばして生きていって欲しい』
って言いたいんだ。
『僕も弱さとモロサの塊です』と。