再放送
世は稲葉宇和ー、いやいやイナバウワー。一昔前の鈴木大地、「バサロ」のよう。
どっちも今はオリンピックでは禁止であり、点数にはならない。すれすれアウトこそが世を賑やかすって事かな・・・。
昨今の姐歯も東横も小泉批判もあの一端木綿のような柔らさにすっ飛ばされた。
そして民主党のアホンダラウワーナガタッチ。彼はホントウにやってくれた。
今では自ら武部の所に出向きカメラの前で、頭を垂れる逆イナバウワーかな。トホホ・・・。
世の中からの注目ベクトルはめまぐるしく変わりニュースソースもその時その時を追う。
だからボクは今回敢えて昔を書く。自己の記憶を辿りながら・・・。
題名は、そうねぇ、「二つの食い違い」にします。では書くよ。
今、演技力に一定の評価がある宮沢りえ。ボクは彼女の事を何よりカニより、絶頂期のアイドルが全裸になるッテ事で鮮明に記憶している。今からどれくらい前に事かな。おそらく、ボクが高校生の頃だったと。朝日新聞の一面に彼女のヌードが。ヘアーも少々。そう、「サンタフェ」である。サンタフェとはニューメキシコ州にある都市だと最近知った。そこで篠山紀信とボクのりえがパシャパシャと。
その写真集すべてを真っ先に見た高校のある友人が僕らに感想をこう言った。
「興奮するっていうより、あれは芸術やね、綺麗すぎて俺は芸術をみている気がした」と。
要は発情期真っ盛り、汗と泥臭いティーンエイジャーの彼でもタタナカッタと。
それを聞いていた一同は「あ~、なるほど。そうかもしれない。」と頷く。
ボクはその前晩、白黒新聞広告一枚を親に隠れて、しっかりじっくり自分だけで味わいたく、部屋に持っていった。犬や猫がエサを加えたまま、自分のテリトリーに持っていき、ゆっくり食べるように。
部屋に一人でニンマリと。
そう、勃起した、ボッキシマクッタ。
明くる日、その友人の感想に「女の裸のどこが芸術か?」とも思った。自分は勃起していただけに・・・。
今の宮沢の演技力には芸を感じるが。
結局ボクはその新聞一枚で充分だった、そうあれには充分だったよ。
あの時のぼくの勃起は友人達とは食い違ってたみたい。
もう一つ。
同じく高校生のその頃、友人達とダウンタウン「流し」のビデオをまわし見、していた。
「これチョ~オモシレェ~」。
「涙が出るほど笑った」。もろもろ。
そのビデオとは若かかりしダウンタウン、漫才だけのもの。
ボクはどんだけ笑えるか?楽しみで、ビデオを借りて家に帰る。宮沢で出すものを出し、そしていざそのビデオを「再生」。
ダウンタウンの漫才三本を一気に見た。
一つも笑えなかった。全く、微塵も。
何より凄すぎて自分が悲しくなり笑えなかった。クラスではソコソコオモロイ慎吾で通っていたが、この人達にはボクなんて「鼻くそ」に思えるだろうって・・・。
アドリブなのか、計算なのか・・・。
いつ思いつくのか、どうやって稽古しているのか・・・。
どうしたらそういう発想が出てくるのか・・・。
完敗、完全なる負け、話にならない、土俵にも上がれない・・・。
人間は本当に感動したときは声も出ない、そして動けないのではないか・・・。
「感動」ならぬ「感静」。強烈に感じたら実は「静」のままであったりすると。
そうボクはダウンタウンの笑劇が衝撃だった。
でも友人達は「面白い、笑えた」。「文化祭で漫才でもしたいな!」って。
感じて動こうとしていて正に感動。
ボクはクラスで気の合う仲間を笑わすことすらできなくなった。笑劇という劇薬の副作用か・・・。
あの人達はボクを面白いって思ってくれるだろうか・・・。
ダウンタウン観もその時の友人達とは食い違っていた。
そして。ボクは今思う。友人と同じ所を見つけるより、自分は他者と何が違うか?を徹底的に検証すべきだと。若い後輩達に限らず、32歳のおっさん、ボクも。じっさん、ばっさんも。
「みんなが病院に行くから私はいかん、自然治癒に任す!」とか。
ボクは「みんなが直ぐに発信、送信のためか、携帯メールをする。だからボクはじっくり時間がかかっても、パソコンに向かい、文章を作り送信するようにしている。ライブドアの社員なら「遅い!」って言われ首になりそうだが」。
また、昨今は車社会の今だから、そろそろ自転車通勤にしようかとも思っているよ。健康のためにも、ガソリン税のためにも。
人と違っていてもいいじゃない。
自分と変わった人が居てもいいじゃない。
認めてもらえなくてもカマイヤシナイ。
人と違うことを探すというより、結果的に人と違っていてもいいじゃない。
あなたの人生はあなたのもの。
少しずつ少しずつ、自分らしさを、積み上げて、コツコツと、自己の骨(コツ)に刻むように。
その骨が折れたって、リハビリすればいいじゃない。
命が脈打ってさえすれば。
勃起したっていいじゃない。
ボクの大事なものだから。
(苦笑)。
松ちゃん、浜ちゃんに叩きのめされたっていいじゃない。
懸命に、少しずつ、じっくりと、ボクなりの漫才を創っていけばいいじゃない。
それこそが本当に「感動」してるって事さ。
友人からの孤立を恐れず、社会からの孤高も止む得ず。
自分にウソよりだいぶまし。
以上また明日。
※去年のコラムです。