日向にもあったんだ。
「東京にも、夕日や朝日が星空があったんだ。
この都市に来て、感じる心を少しだけ忘れていたが実は僕自身の捉え方だったんだ」。
福山は歌っている。
リリーフランキーも大都市での闘いと癒しを語っている。
二人とも東京タワーを観ながら。
最近、この「東京にもあったんだ」をいつも聞いている。
もう、100回は聞いていると思う。
僕、今33歳になって思うは、「日向にもあったんだ」である。
東京の大学に憧れ、お笑い芸人で勝負したくて、プロレスラーで勝負したくて・・・
世間から拍手喝采を浴びたくて・・・
18の春は小さき自分を、小さきこの田舎を、脱したくて・・・
華の都、大東京に憧れて・・・
でもチャレンジできず、不甲斐ない自分をこの田舎のせいにして、誰かのせいにして・・
地元企業に就職し、でもすぐに止めて、大学浪人をし、でも合格はせず、アルバイトで過ごし、市役所に入り、サボって時に闘う。
いつも何か物足りなく・・・。
建設課に異動し、ラグビーを卒業し、でも、日向高校後輩のお陰で、また復帰でき、結婚し、今に至って思うは、「日向にもあったんだ」。
おそらく人生はその人の捉えようであると。
この日向が、変わったのではなく、僕自身の気持ちが変わったんだと。
今、僕は日々、仕事で自分なりに毎日完全燃焼し、家に帰り嫁と語らい、徹底的に語らい、日向高校たちに、我が後輩たちに囲まれ、家でじっくり風呂でパーフェクトファイアーを振り返る。
そして、フラフラになり床に入る。
お陰さまで、熟睡です。
嫁よ、先祖よ、父母よ、ありがとうございます。
これまで熟睡できなかったのは、「つらく働く」、ではなかったからだと。
きっと、労働こそが人間を生成するのだと。
今日久しぶりにラガシャツを着て、スパイクを履き、高校生達、我が弟達とスクラムを組んできました。
「帰れる場所が、この地元に、この日向にあるんだ」。
日向にもあったんだと。
闘う場所が。
日向にしかないのかもしれない。
あのころの自分を振り返えれる場所はここにしかないと。
僕の弟達は僕を待っているんだと。
でも、僕は彼らの為に行っているだけでなく、
自分自身を形成しなおす為に行っているんでもあるんです。
「林田さん、グランドで待っています」
「ありがとう。でも、僕自身も君たちを待っているんです」。
明日は選挙事務。朝7時から夜8時まで。筋肉痛とともに市議選の選挙事務をします。
もうこの時点でサロンパスを首片に。
頑張ります。
そして、黄金週間は楕円と休養の一週間にします。
ありがとう、また明日。