裁判一考
去年あった事件、僕がこの日記で取り上げた事件、秋田児童殺害の第五回公判で、小学時代の自らのいじめ被害を、鈴香被告が証言した、という記事をここで載せます。
『弁護側の質問に畠山被告は、家庭環境について「父と母は仲が悪く、父は機嫌が悪くなると自分に暴力を振るった。幼いころから20歳ぐらいまで続いた」と述べた。
畠山被告によると、小1の担任教師に「水子がついている」と言われたほか、級友からは「心霊写真」と呼ばれた。高学年では時間内に給食を食べられないと手のひらにおかずを載せて食べさせられ「ばい菌」とののしられた。トイレの個室に閉じこめられ、洗剤や水を掛けられたこともあったという。中学入学後は級友からほとんど無視され、高校ではリーダー的存在の使い走りをし、いじめられないよう気をつけていたとも供述した』。(毎日新聞配信)。
それでも、この畠山さんが剛憲君を殺したのは許せない。
剛憲君の両親はやはり、極刑を望むだろう。当然だと僕も思う。
そして、畠山さんは、自らのこういった体験を子供の頃、どうやって処理して来たのだろうか・・・。
「自分だけが学校でこうもいじめられるのはなんでだろう・・・」
と苦悩しただろう。
もし、自分の子供がこういったいじめられ方をして、家に帰って来たらどう声をかけますか・・・。
「学校に文句を言いに行く!」
~でも、彼女の父は家で暴力を振るっていた、我が子に。
「友達に相談」
~ばい菌呼ばわりする友達にできるだろうか・・・。
「先生に相談」
~それこそ、小一の担任から「水子がついている」と言う「先生」にできるか・・。
僕は思うのです。
人間、生まれた時からの悪も善も無いと。
環境によってやはり、左右されるのだと思う。
できるのは、もう二度とこのような事件が起きらないように、社会が考え続けてゆくしかないのだと。
月並みですが・・。
でも、剛憲くんの幼い命を奪った殺人者畠山さんは許しがたい。
でも、畠山さんの幼い時の命がもっと大事にされていたら、と考えると、先生やその友人、そして父親は許せない。
「自分の子供が殺されたら」、そして、「自分の子供がいじめられたら」、そして、「自分の子供が犯罪を起こしたら」、我々社会は、一切合財、考える必要があると思います。
僕がもし、畠山さんのような境遇だったら必ず社会に復讐したと思う。
僕の甥っ子がもし、畠山さんに殺されたら、やはり、復讐するだろう。
だからこそ、裁判は大事なのです。
自分の信念や政治を訴える場ではないのです。
裁判員制度も、悪くないと僕は思う。
今夜は「裁判一考」にします。