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丸腰。その弐。

「丸腰」の意味を今一度、辞書で調べるとこうあります。
①武士が腰に刀を帯びていないこと。
②身を守るべき武器を何を持もないこと。

ホント、今年に、僕のこの年に、ぴったりです。

小野君の去年の林田評はこうです。
「役所後輩の林田評。2007年1月27日。
林田慎吾は日向市役所に、いや日本国に覚悟を持って勤務し生きている侍である。 彼は心にいつも不満を感じ、時に怒り、悲しみ、絶望し、時に言葉の刀によってあらゆる物に切りかかる。 たまに勢い余って切腹もする。 でもそれは同時に、欝屈した世間を切り拓くコトに他ならない。林田慎吾という抑えきれない自己の解放に他ならない。 僕らがそれを傍観していようものなら、たちまちのうちに切りかかられる。 それはまた他人の解放にも他ならない。 彼はわからせる為に話さない。 考えさせるために刀を振るう。 その刀が単なる凶器でなく、人を喜ばせ、楽しませる方向に向けて、磨がれているコトも見逃してはならない。 刀を振るい、文字通り、真剣に人間や物事に取り組む林田慎吾は間違いなく侍として生きている。 疲れました(笑)

林田慎吾の侍たる理由としての妙味の一つに、その振るう刀身を軽やかに変化させるコトがある。 時として剛剣であったり、針の穴を通すような細身の剣に持ち替え、相手によって様々な刀身で間合いを詰める。 林田慎吾は、この間合いの取り方を絶妙なほどのバランスで調整している。 それは「お笑い」で培った、場の空気を的確に読む能力に裏打ちされたモノではないかと思う。彼にとって「お笑い」とは楽しいモノだけではなかっただろう。 いわば「修行」であったかもしれないが、確実にそれが彼の血肉となっている。それが「お笑い」の場に留まらず、真剣な場においても通用するというコトを出会って、自分自身が切られてみて毎回痛感する。切られても、不快な気分がしないのが林田慎吾のまた一つの妙味である」。

僕は侍、ならば、今一度、ここに刀を置いて、丸腰で生きていく。
そんな、感じです。
刀がないと、ちと怖いですが、今年一年は、素で。

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