再放送。
2007年02月24日
日記。
ドイツの言葉、「辛く働き甘く眠れ」。
今週一週間は正に辛く働き、甘く眠った。
不眠症で困っていた(「困る」どこの話ではなかった)、この間までがウソみたいな最近の眠り。
ホント、「睡眠」は重要で、生物としての根幹が関わっている睡眠です。
あの眠れなかった頃、今、確実に言えること。
それは、「あの頃より、確かに辛く働いている最近」。
職場に行くテーマが毎日あります。
それは、どこの場がいいとか悪いとかではなく、僕自身の甘さであったと。
労働により、僕自身、成長させられていることは事実。
さて。もう二度と来ない、昨日をタイムで振り返ります。
2月23日(金)。
嫁は明日が誕生日。31歳である。先に言っておく「おめでとう」。
誕生日には猫も杓子も「おめでとう」って言うが、いや、猫がホントに言ったら、朝ズバが取材に来るよ。杓子が言ったら、この夏のホラー映画は決まり、いやいや、そんな話はさておいて、なぜ、誕生日がおめでとうか、よくわからんが・・・、まぁ、この31年も生きて来たその命に、おめでとう。
起床はAM7時半。朝は野菜ジュースと菓子パン。茶碗でシチュー。
多めに取る。今日は一日現場業務予定。
腹ごしらえをしっかり。烏龍茶もたっぷり呑む。「飲」むか・・・。
一日って朝飯で決まりと言うが、確かにそうかも。
僕に子供ができたら、朝飯はくれぐれも手を抜かず生活していこうって思うよ。
職場に行く。係長と少し談笑し、カップコーヒーを飲む。これが最近の毎朝の日課である。
頭のストレッチと言ってもいいかな・・・。
仕事始まり、朝一、直ぐに南へ。
今日の最初の現場業務は道路補修、穴埋めと陥没補修。
次に移動して、側溝の低盤に速乾セメントを塗り、側溝と側溝のつなぎ目にもそれを。
要は、側溝補修。地元の人達と話しながら。皆、高齢者、最後にはオロナミンCを頂く。
これも、賄賂か、談合か、しがらみか・・・。(笑)。
2月と言うのに暑いね、汗が噴出す。
昨夜の焼肉ニンニクがこの朝に、この汗に、含まれているでしょう。
元気に吸収し、元気に発散し。
汗をかくことで僕は生きるを感じます。そうです、子供の頃から、僕の部屋は永江公園でした。
それが終わって、またまた南へ。ナミンCを飲みながら、次の現場へ。
今度は側溝の蓋を交換。割れているものから新製品へ。
そして、そこでも道路補修。簡易補修材レミファルト305を3袋使用、30キロかける3袋。
トンボで慣らし、圧力を加える。それ用の棒で叩いたり、車で踏んだり。
そうこうしていると、昼に。そのまま、先輩相方の大坪さんと日向灘で食事。
日向灘から観る日向灘は天気もあってか、素晴らしい。
僕はCランチを、ご飯大盛りで。二児の父、大坪さんはチキン南蛮とチャンポンのセット。
食い終わって直ぐに、財光寺の建設課資材置き場へ。少し休憩。
そこでゆっくりしていたら、5分ほど意識は無くなる。
要は、寝る。(笑)。
PM1時過ぎ、仕事再度、開始。
まずはユニック車に積んでいる、壊れた側溝蓋やセメント等で汚れた容器を片付ける。これが結構時間がかかる。同時に充実感もある。
終わって、細島の排水整備の大坪さんの現場へ。
勉強で僕もいっしょに行く。今日は「床堀検査」。
終わって、今度は僕の現場へ行く。確認をする、この間、修繕した箇所を点検。
終わって再度土場へ。側溝業者に頼んでいた集水蓋が来る。予定していたPM3時を過ぎていたが。
でも、搬入してきたドライバーは今日始めて、この土場に来たとの事。
「イッツオウケイ」。「今度はこのルートで」と僕。
「ありがとうございました」と格闘技でもしてそうな、いい体のアンチャン。
5枚注文していた集水蓋、1枚だけ財光寺の現場で交換。
終わって建設課に戻る。
戻ってPM4時ごろ。約6時間の現場業務。肉体労働、疲れました。
で、PM5時まで内務等を少し。
5時から今度は建設課課内旅行の打ち合わせ。
そうです、来週土日に行って来ます。総勢20名で霧島温泉へ。
行って来るのです。その計画班でもある、僕。
だいぶ、まとまってきて、後は準備等です。
楽しみです。また、この建設課課長が3月で定年で寂しいです。
そのお別れ旅行でもあるのです。頑張ります。
バスガイドから取りまとめまで、そして、宴会まで、この僕のキャラが誰かに喜んでもらえるなら、ホント、幸せです。頑張ります。
溌剌に、釈迦力に、自己をハッスルさせます。
どうぞ、よろしくお願いします。
後は3月3日、4日の天気を祈るばかりです。
久しぶりにテル照る坊主を創ります。
それにしても、建設課に来て二年。
異動した2005年4月はホント、大変でした。
2005年は初の異動もあったし、結婚もしたし、ラグビーから全く離れた一年だったし、お笑いもまったくなし、ただただ、由香理さんに助けられ、それまでの自分の人生をまざまざと考えさせられる一年でした。吹っ切れたのが、今思えば、その年、11月下旬のアメリカ新婚旅行だった気がします。
やっと、やっと、その頃ぐらいから建設課の雰囲気に慣れ、結婚式も終わり、大枠の睡眠が取れるようになり、自分には一緒に住むお嫁さんが居るって事で安堵感もあったのでしょう、落ち着き始めました。
そう、心や精神の着地点が見つけられたようで・・・。
それを実感したのがアメリカ旅行でした。
行きの飛行機では、インド人と話、帰りはメキシコ人。二人とも隣の席に。
そのメキシコ人は初の日本って事で、僕ら夫婦で日本語講座をしたよ。
ほんと、面白かったなぁ~・・・。
また、行きの空港で、土産のことで喧嘩になったり、ラスベガスのベラッジオホテルビュフェで二人で吐くほど食ったり、アメリカだけに、コーラを水代わりで飲んだり・・・。
どこそこで、片言の英語と思いっきりのボディランゲージで、話す。
僕よりデッカイカナダ人から、サンフランシスコ空港で話しかけられたのには、びっくり。
まったく何を言っているかわからなかったが、「テイク イット イージー」で返す。
笑った、かなり笑っていた、彼。
取りあえず、一緒になって笑ってその場を合わせた僕自身、僕も笑ったよ。
僕はそのとき、世界を感じた。(大袈裟やわ)
世界の中心で叫びたかった。(映画か!)
「笑いに国境はない!」って。(空港で叫んだら連行されまっせ)
で、そんな旅行から帰って来て、僕の人生はまたリセットされた気がします。
で、今です。
建設課もだいぶ慣れました。
二年前は右往左往していたその課で、旅行を、宴会部長として・・・。
釣りバカのハマちゃんのように・・・。
嬉しきことです。思えば、この二年、大変だったけど、無駄ではなかったと。無駄どころか、ホント、建設課に来て良かったと、心から思います。
その二年の集大成が今度の旅行です。
「仕事のできる人」より、僕は「人を喜ばせる人」でありたい。
これからもずっと、我が命、ある限り。
職場を出たのがPM6時半。旅行打ち合わせの後も、少し書類をこなす。
そのまま、日向高校へ。久しぶりに我が弟達に会う。
いいスクラムを組んでいた。
終わって一人家で飯。嫁は残業。
PM9時まで「太田総理」を見て、それから、ジムへ。
少しだけ、筋トレをして、高校主将成合哲史君と水泳を。
彼に胸をもまれたよ。あいつは、ホモとゲイの違いを今、研究しているみたい。
今後、彼には近ずかないようにする。(笑)。
いよいよ、僕はトライアスロンに出ます。
自転車練習始めますよ。ランは嫌。きついもん・・・。
帰って嫁と話、AM12時半ごろ寝入った。
そして、今日、31歳、おめでとう。
また明日。