田中秀征氏のコラム。
かつてフランスのドゴール大統領はこんな趣旨のことを言ったことがある。
「時代が危機にさしかかると、その流れを制御(コントロール)し得る人物のみが前面に押し出されてくる」
そう言うドゴール自身が、フランス滅亡の危機に際して、呼び寄せられた人であった。
民主党の優位はあくまで比較優位
近年の日本の政治の混迷を目の当たりにして、私はしきりにドゴールのこの言葉を思い出す。日本は今やそれと同じような重大な局面を迎えているのではないか。
前回本欄で引用した世論調査が示す通り、現在、民主党が自民党に対して優位に立ち、小沢一郎民主党代表が麻生太郎首相より優位に立っている。
しかし、それはあくまでも両者の間の比較優位に過ぎない。
問題は、自民党と民主党の“単独政権”となると拒否率がきわめて高く、さらに麻生・小沢両党首に対する拒否率が高まっていることだ。本来ならば、総選挙が近づくと、よりましな政党や党首を支持する方向に流れが出きて拒否率が減っていくもの。ところが今回はそれが逆になっている。
このところメディアでもこの点に注目し、“再編”や“新党”の可能性も指摘するようになった。
危機の時代は人材を選別し淘汰していく
さて、総裁選後、しばらく鳴りを潜めていた中川秀直元幹事長や渡辺喜美元行革相ら“改革・成長派”の人たちが積極的に動き出した。さまざまな勉強会や議員連盟を重層的に立ち上げ注目を浴びている。
これらの動きを麻生おろし、政界再編、新党結成などを目指したものと受け取る向きも多い。
しかし私は中川氏らの動きを額面通りに受け止めている。すなわち、政策提言や政策要求を通じて現在の与党体制と政策路線に大きな転換をもたらそうとする真剣な努力。この努力が実ればそれに越したことはない。もしそれが不首尾に終われば、そのときは他の道を考える。どのように困難な道であれ、そこに踏み込む覚悟はできている。心中はそういうことではないか。
中川氏の言動の根底には、「統治構造の変革なくして政策路線の転換はない」という確信があるように見える。それは少なくとも、江田憲司、渡辺喜美、塩崎恭久氏らに共通した認識であるように思われる。
危機の時代は厳しいもの。人材を容赦なく選別し淘汰していく。疎遠であった人を近づけ、近かった人を遠ざけてゆく。中途半端な改革者はいつの間にか隊列を離れていく。信頼していた人との離別に苦しみ、意外な人の協力に勇気を得る。それが指導者の宿命だろう。
民主が陥る政権交代や二大政党制という呪縛
私は現在、民主党内よりむしろ自民党の動きに期待している。なぜなら、民主党内の優れた人材も、民主党という枠組を突破できないからだ。また、“政権交代”や“二大政党制”という呪縛を解いて進むことができないでいる。だが事態はそんなことに固執していることが許されないほど切迫している。世論調査で“大連立”志向が強いのは、世論の悲痛な叫びだろう。
皮肉なことに、民主党内ではトップの小沢代表が“民主党”、“政権交代”、“二大政党制”の既成観念を乗り越えようとしているように見える。“大連立”や“超大連立”の発想は小沢代表のいら立ちに発しているのではないか?
このところ自民党内では、加藤紘一氏や山崎拓氏ら有力議員の言動も波紋を呼んでいる。政界再編の可能性をも肯定する発言にはかなりの迫力を感じさせる。
しばらくは、自民党の内外から、さまざまな動きが活性化してくるだろう。だが、これらを性急に束ねる必要はない。星雲状態のままでよい。アメリカの予備選挙のように、次第に淘汰され統合されていくだろう。その役割を果たすのは、他でもない世論である。
麻生首相の解散先送りは、思いがけない歴史の展開を可能にさせた。