さまざまな批判たち。
『林田慎吾』にいろいろな批判がある。他者からの風当たり、自己批判。
あって当然である。その批判を今、僕は少し「歓迎」できるようになってきた。
これは確かに20代より、成長したって事かな。
あの頃は、批判に一々向き合い、一々怒ってきた。
僕への陰口や悪口に、吹き出物と不眠と共に、その本人へ殴り込みをかけたことも多々ある。一対一で向き合うとだいたい、陰口を言っていた本人はただ知らばっくれるだけだった。
でも、最近はもうそんなことはどうでもよくなってきた気がする。
「何より、行動だ」と思っているからかな。
いまだにこんな青く、弱い自分なのに、同級や組織からは気に障る存在なのかもしれない。まぁ、生意気にも言わせてもらえば。これは僕ら同年代に元気がない証拠であり、また大きい歴史ある組織の新陳代謝機能が弱っている証拠だと思う。
そういった意味では僕のささやかなる行動は意味があるのかもしれない。
もちろん、まだまだ試行錯誤、未熟さも目立つが、こういう僕自身のごまめの歯ぎしりが無くなるわけにはいかんと思う、今日頃ごろである。