今ある、この僕の立場は、僕だけでできたわけではない。支えてくれた人が居て今、働けるし、生きていけるのだと思うよ。自分だけが頑張ったから、あるのではない。社会があり、学校給食があり、誰かがウンコの処理をし、会社では入ったときから一人で何もかももできたわけではない。今良くても、昔はどうだったか?そして、これからもこうやって無事、暮らしていけるだろうか?明日は我が身であり、信頼している人が不幸な境遇に落ちることもあるかもしれない。僕は、生活保護という制度はお互いが助け合うならば、良い制度だと思います。ただ、確かに言うように、楽してもらえる制度に解釈できるのも事実だと。でも、その人の怠惰を完璧に白か黒か見極めるのは時間がかかるし、検査官と言う人件費もかかる。
そして。この制度は今や、本当に要るのか?よくわからんくなってきている。昔は、戦争で家族を亡くして、子供や嫁や、親が残され、始まった制度。ただ、今は働けなくなった男の制度ってな感じになり、そして今は母子家庭や、病や障害を持つ人の制度にもなってきているみたいです。母子家庭や、離婚率、不倫、自殺が社会問題ならば、この制度も要るって事にもなりますな。では、今のこの社会の自殺はその本人が悪いだけが原因か?離婚した女が悪いのか?不倫した男が悪いのか?一個だけが悪いわけでもないだろうし。いろいろ複雑に入り組み、その一人ひとりが苦悩をしていると思う。僕の経験上、100%、好きで生活保護をもらっているのではない気もします。また、障害手当をもらっている人が羨ましとも思わないし。生活保護をもらっているその人は一人の時、幸せは感じないとも思う。
僕もそうですが、人間完璧ではない。一人ひとりの事情があり、悪い環境の人でも望んでそうなった訳ではない人もいる。もちろん、望んでいた人もいるかもね。完璧ではない人間同士が折り合いをつける、妥協をするってのが僕は「政治」だと思う。そこには経済という「お金」と、人間はこうあるべきという「哲学」が土台にある。その一帯を社会と言うのだと。やはり、その社会を創り、まわし、想像し、壊し、総じて参加してゆくのも一人ひとりだと。不正や疑問には、声を上げればいいし。もっとも、道路より公園がある町にしたいとか、雇用よりも今ある仕事を分けて、低賃金でも多くの人が、労働できる町にしたいとか。そして、まずはわが人生をどう生きるか?胸張って生きれなくていい。でも、自分では納得する人生を。