人間がこの星で生きるなら、もうすべてそれは想定外。
「杜撰」の意味は、「押さえるべき大事な点に手抜かりが多く、いいかげんである様子だ」と。今、この世は、「東電」を指してよく使っている。僕は誰かを指して、「それは杜撰だ」と、使った事はないけど、使われた事はあるよ。「あなたは、杜撰だ」と。日光クラブの主将をしている時に、僕のクラブのジャージの管理をある後輩に批判されました。24とか25歳ごろかな・・・。正に、その通りで、あの時はいろいろと、全てを僕はやっていたから、「どれもこれもできるか!」って一人怒ってみたり、また、「誰も僕を手伝わないヤンか!」って嘆いてました。
菅総理大臣が今、かなり叩かれている。「はやく辞めろ」と。特に、東電と菅さんは叩かれている。では、この菅さんを選んだのは誰だ?そして、東電の「天下り温床権化、原発利権」を容認していたのは誰だ?我らの生活は、そんなことお構いなしに、考えもなく、電気を使ってきたのは僕だ、そして、大多数の国民です。
民主党に標じたのも僕。そして、菅さんに期待したのも自分。
所で。菅さんが言っている「参加型民主主義」の浸透は、この今の社会に不可欠です。政治家に今求められているのは、国民の誰でも、「行政」や「政治」を考えれる場を与えていくことだと思います。「お任せ」では、ダメだと僕自身、今、改めて思います。やはり、この手で、この頭で、考えていかんと。
東京旅で映画館で3本映画を観た。邦画です、「さや侍」、「奇跡」、「阪急電車片道15分の奇跡」。全ての上映の館で、数人のお客さんが、携帯電話をはなさず見ている輩がいた。少なくない。一人の女性には「もう、映画始まってますよ、携帯、消して下さい」と言ったよ。「すいません」も言わず、軽くうなずくのみ。携帯電話はその後、消したけどね。う~ん、もう、この国は、この国の人々は、東電だけを、そして管さんだけを、原発推進派だけを、責めるだけで良いのか・・・。
僕はある意味、大衆に、
誰かに嫌なことは任せて暮らしている大衆に、
もっともっと、問題があるのだと思います。
勿論、僕も、頑張ります。
住民と共にこの梅雨を、台風を、猛暑を、苦悩していく所存です。
この雨の中、買い物へ行くと、居る居る、無思考なる大衆が。うめこうじの玄関前の止めたらいかんとこに、少しでも濡れないようにと、止める車。中には、旦那とこどもが乗っている車もある。確か、母が買い物中だろう。車中で、旦那はメールをしている模様。こういうACの広告を作ってくれよ、「家族より、社会を大事にしてみたら」と。察するに、旦那は、買い物付き合いのあと、パチンコへ行くのでは?今、しっかり家族孝行ってことかな、と。僕が言いたいのは「買い物に付き合い、憂鬱にメールしているなら(会社の女性事務員へ、かな?)、休日なら親父としての勉強をもっと、してくれよ。家で一人黙って読書でもしてくれよ、です。そして、7月10日の討論会、来ませんか?」、です。
今年の5月は節電で、7%削減できたと、去年の5月と比べて。
国民一人一人が危機意識、そして社会の声を聞く、「聞く意識」があれば、
できると思う。ただ、やはり、情報をしっかり共有することがこの鍵です。
頑張ろう。
そして、ひとつになる前に、しっかり議論しよう、話し合おう。
「なんで、何で、一つになるのか?」を。