マネーボール
この間の日曜日に観た映画「マネーボール」、いまだに僕の脳裏に残っています。久しぶりに僕が好きな映画に出会った気がします。
映画主人公のブラッドピッドのワンシーンワンシーンが今、残っている。
例えば、球団経営で苦悩して顔を手で擦るシーン、
リストラする時、言い渡すGMと言われる選手のシーン、
負けても勝者のようにおどける選手へ叱咤して控室のものをひっくり返すシーンなどなど・・・。
脳裏焼き付きシーン満載である。
いやぁ~、本当に僕はこういう映画が好きなんだな。
多くの人はこの映画を、「金のない球団がデータをもとに、勝ちに徹するベースボールする映画だ」と説明するだろうけど、僕は違う、僕はこう定義する、この映画を。
「この国にない、ぶつかりを肯定する映画」だと。
日本人である僕はこの映画に憧れる。
そして、実はメジャーリーグというアメリカにも「野球村」は存在するのだ。ただ、この国の野球ナベツネ村になく、メジャーにはあるのが、村あっても、その中にもその外にも、「異端児が異端児を認め、共に戦っていく人間達」だと思う。
この国の最大なる村、原子力村にも異端児は存在している。
が、その異端児を、フォローするマスコミ、仲間(中間層)、友達が少ないのだ思う僕は。そして、もっと言えば、異端児は協力者を求めてこそ、異端児たり得るのだ、我々はその事をもう一度、認識するべきだと思いますが、どうでしょうか。
僕にもこの社会へ、異を唱える時がある。けど、まだまだホンモノではない。やはり、自己満足に終わらせず、多くの他者と、多角的に、端的に言えば、独り善がりにならないように議論してこそ、異を唱える意味があるものだと。これは自分への戒めである。そんな映画だ。
「林田よ、自分がそれを強く信じるなら他者と語りつつ協力者を求め、そして、突き進んでみよ」である。
できれば僕はもう一度宮崎セントラルへ行く。
誰か一緒に行かない?
さすがに嫁は野球ものだし、二度は観ないだろうし。