いじめを知っている君へ。
責任を認めない教育委員会。
生徒のいじめに加担する先生。
自分の子供を信じれない親。
僕自身、大人として言える資格は無いが、言わせてもらう。
教室で起こっている「いじめ」、旧友がいじめられている。
「どうか、どうか、助けて欲しい」。
僕は「いじめられている君へ」、言えるは「誰かに、僕でもいい、相談して欲しい」。
そして、「大人になっても、そのいじめっ子を忘れないで欲しい」。
「いじめている子」へ。
君にとってのその悪ふざけが相手にとってはどう伝わっているかをもう一度考えて。
そして、「もし、文句があるなら一対一で」。
君は汚いぞ。集団で、なんて。みんなで、なんて。
そして、何より言いたい相手は。
「いじめを知っていて知らないふりをする君へ、君たちへ」。
いじめを助けるにはリスクが生じる。
その行動によって君自身がいじめられることになるかもしれない。
でも、勇気を持って。
助けるのだ。
みんなの前でできないなら、そっと声をかけてやって。
そのいじめられている友人がトイレに行ったとき、そっと一緒に小便をする感じで「元気?」でも「高校どこ受験する?」でも、なんでもいい。
君のその一言でどれだけ救われるか・・・。
僕も中学の頃、いじめられた。
忘れない、今でも思い出す。
その、憎っくきアホが、この日向市であるところで働いている。
最近、離婚したらしい。
心の底から、
「ザマァ~ミロ」だ。
その男を見るたび、思い出し、つらいし、今すぐにでも殴りかかりに行ってやりたい。
でも、何よりそいつが怖い・・・。
でも、今なら、一対一なら絶対に負けない。
でも、でも、いつまでも、こうやって、思っていても・・・。
・・・・。
受けた憎しみ、忘れられない嫌な記憶はなかなか解決できない。
でも、時間が忘れ去らせなくとも、整理はしてくれる。
「あのアホも、僕を殴る前に、あるグループから殴られてたみたい・・・」。
いやいや、だからと言って僕を殴っていいのか・・・いろいろ考える日々です。
今でも、今でも、です。
その時、僕の惨めな姿を先生は知っていたし、何もしなかったし。
その時、いじめはしなくても、僕を見下し白い目で見た奴、今でも忘れない。
今、そいつはパチンコと酒で顔色悪いよ、今でも口ばっかりです。
でも、僕も小学校の頃、誰かを茶化してました。
そのしっぺ返しが中学の頃、降って来たのかって、今は少し、そう思うよ。
「いじめる」経験もあれば、「いじめられる」経験もある。
そんな時、思うは「いじめを見てる時」が重要だと。
君のその一言にかかっている。
親はもっと言うべき。
「いじめられいる友達が居れば、助けろ」と。
昔は、親がもっと言っていた気がする。
僕も今、いろいろ考えます。
考えています。
結局は、自分自身がどうするか?である。
困っている人が目の前に居た時に。