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再放送

バックナンバーです。4本。

今朝も雨。ザーザー違うシトシトと。出会いも雨だった気が。会った時はポケベルがかなり流行っていた頃。君との空間は癒しでありまた集いであった。その空間に入れば自己を実感できた。その空間に入れば人目を一切気にせずハジケラレタ。トビチッタ。最近ではかなり疲れていたね。僕の無礼を許してくれ。今日別れる今別れる。再会はない。あるわけがない。ありがとうは言わない。言えない。ただ、さようなら。この別れを知人に話すと知人は言った。「ヤツもホッとしてるって・・・」。その言葉で僕は救われ同時に何かを失った。「そうだ。向こうも望んでいるのだ。」同時に「この感傷は僕だけか」。思いや願いは一方通行で終わるのか。むしろ一方通行の方が多いのか。今日別れる今別れる。片思いが両思いになりまた片思いへと。降りると決めたのは僕の方。しかし。それ以上に君は望んでいたのかも。君は僕にとって俗世界から雄一離れられるラジオ体操の時には味わえない深呼吸の場。君のことは忘れまい。いや、すべてを忘れたい。外は雨がシトシトと。今日別れる今別れる。

勝手な情けは距離を生む。近くの大型百貨店の大型駐車場。車社会の現代、駐車場がないと商売にならず。一昔前は駅の近くが町の核心部分。交通手段の変化に対応できる店が延命してゆく。その百貨店玄関最寄りの駐車スペース。障害者の為のスペースと地面にマーキング。そこにある放送塔も「このスペースはお体の不自由な人専用となっております」と朝から晩まで垂れ流している。吠え続ける。バカな犬でもここまで吠えない。そんなのわかってるしこれを障害者が聞いたらどうだろう?楽しいショッピングに水をささないか。是は区別じゃなく差別のような気が。「みなさん大切に扱いましょう~」って連呼。五体不満足の乙武さんは「普通に扱う」これが一番良いと。「大丈夫ですか?」ばかり言われると「君こそ大丈夫か?」と言いたくなる、知人の車いすの加賀ちゃん。身体に障害ありがイコール不自由なのか?駐車スペースよりさりげなく段差とかで手を貸す方がよっぽどいいのでは。こっちの空間あっちの空間では距離はいつまでたっても縮まらない。僕だって勝手にメールを送りまくる障害をもってるしな。

ただいま。今日向のジャスコから帰ってきた。さすが今流行りのジャスコ、お昼時とも重なってにぎわっていた。一階の飯を食う所で水をただのみして格闘雑誌を読んでいたらいろんな風景が目に入ってきた。幼い我が子を横にしてもモクモクとたばこを吸うお母さん。「君たちの母性はいずこへ・・・。」女子中学生三人が食事しながらおのおので携帯のメールをしていた。無言のまま・・・。「家でやれよ。」65歳を軽く越えているであろうじいちゃんが一人で弁当を黙々と食べていた。これから日本はこういう光景が間違いなく増える。「孫というソースがあれば飯もうまいだろうなあ・・・。」彼氏がトイレに行った途端、携帯電話のアンテナを立てる間違いなく20代の女性。「メルアド教えろ、俺がリンダを送ってやる。」土曜の昼にそんなことを考えてしまった。幕末の志士高杉晋作はこういった。「おもしろき コトのなき世を おもしろく」。しかし俺も暇だな・・・。

我々人間はどこに行こうとしているのか。何を目指しているのか。何をしていきたいのだろうか。答えられる人間がいるだろうか。この星に生まれ限られた日々を生きてゆく。自分の人生を自分の好きなように生きる、それで本当にいいのか。人間界で言えば一つの生命は新たなる生命に対してのつなぎ役でしかない。ならば子供を作り子供を育てるのが最大の使命か。義務ではなかろう。「良い国を子供にわたそう」は確かにそう。だが戦争を止めず自然を壊し地球を温暖化している我々。何がその先にあるのか。今生きている者達のツケは今生きている者達の子供達がぬぐってゆくのか。残酷過ぎる。犠牲になるのは自然だった環境破壊も周り回って今では人間にもボデイブローのようにじわじわ効いてきている。わたしも一人の人間。四つ足を食べ酸素を吸って鼓動している。衣食住の住こそこの星。命ある限りここで暮らしてゆく。これから僕は何をして行こうとしているのだろうか。

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