線声慎吾。
「死刑」である。極刑である。
少年犯罪の場合のこれまでの司法界の慣例の「4人で死刑」という基準が覆った。
いろいろ思考するが、二つだけに絞って今回は記す。
「この死刑判決は誰が生み出したのか?」
それは、正しく、被害者として闘った、闘い抜いた本村洋さんが行動し、社会を巻き込んでいった、これに尽きると。
事件が起きた9年前は、被害者の傍聴席も用意されていなく、裁判は検察と弁護士、そして被告人と裁判官によってのみ審判が進んでいった。
被害者の家族は正しく蚊帳の外。
考えてみてください、もしも、自分の嫁そして子供が殺されレイプされたら。
9年間もあのように戦い続ける事ができるだろうか?
苦しんで苦しんで、心の病になったり、もしかしたら僕だったら、自殺しているかもしれない。
もし、本村さんが自殺でもしていたら、この判決はなかったように思う。
彼は何より私用で仕事を休むことを好まず、裁判の時だけに極力抑えたという。
その行動、心の底から熱した発言が、この判決を生んだと思う。
そして、もう一つ。
「裁判官の毅然とした態度」。
もちろん、僕が思う「毅然」ですが。
訳のわからん弁護団。
「母親に甘えるように抱きつき、想定外の反撃に無我夢中で首を押さえた」。
「泣きやんでほしい一心でひもで緩くしばった」。
バカヤロウである。
マジで「おい、お前、大丈夫か?」と聞きたくなる。
この弁護団の主張に楢崎康英裁判長は。
「信用できない。遺体所見とも整合できない」と。
そして、二人への殺意を認めた。
「虚偽の弁解をしたことで、死刑を回避する事情を見いだすすべがなくなった」。
判決を聞いて本村さんは。
「疑問をすべて解消してくれた。早く墓前に報告したい」。
そして厳粛な気持ちで、
「これにより社会がどうすれば犯罪被害者、加害者がなくなるか考えてくれないと我が娘も妻もそして被告人も犬死である」と。
そして、最後に。
「殺意はあった、本当にすいませんでした、死刑でも仕方ないと思っています」。
と心の底から発している人に僕は死刑は望まない気がする。
この思いは僕も、本村さんも同じだと思います。
改めて、二人の命に僕は二人と話したことはありませんが、ご冥福をお祈りします。
そして、僕もしっかり考えて生きます。
本村さん、取り敢えずはお疲れ様でした。
林田慎吾。