哀しみの時こそ
今日も、自分の甘えとの葛藤、そののち、打ち勝ち、走る。
2キロを2本。最後はきつかったです。最初の2キロはまぁまぁ。
良かったです。この土曜日曜、公約通り走ったよ。
民主党より、実行しているのだ。良かったです。しっかり頼むよ、鳩さん。
さて、カナダでの冬の五輪。僕はどうでもいい。テレビが一時こればかりで嫌気がさすよ。我々の局はまったく五輪放映はしませんって、どっか、言ってくれよ。
ただ、スポーツってのは素晴らしいと思う。
あくまで、自分との闘いって自然に思えれば素晴らしい。
そこには、もちろん、歓喜や拍手、努力と栄光がある。
けど、人々が真に心打つ時は、「哀しみ」の表情、失望の時である。
負けた時、そして、報われない時、である。哀しみの時こそ、自己を見つけるのだ。
その必死さに人々は感動する。
今、自民党や小沢さん、そして朝青龍、またはトヨタ、苦難の時である。負けている時こそ、如何に凌ぎ如何に過ごすか?である。今こそ、勝負だ、正念場だ。
今、良いから、ずっと良い、わけではない。
また、今悪くても、ずっと悪いわけではない。
僕も今、トータル5度目の肉体改造に着手してます。
先ずは、「走り」から、です。頑張ります、頑張っております。
三日坊主にならないように。
では、また。