« 2006年11月 | メイン | 2007年01月 »

2006年12月31日

ユクトシ・クルトシ~みなさん、今年、ありがとうございました。

今財光寺マルイチ内の大福屋から帰ってきました。
ケーキと大家さんからもらった生ラーメンが昼飯。
朝はこの冷たい中、痛みすら感じるAM7時ごろ、嫁と歩いてきました。
で、比良町嫁実家に寄り朝飯を頂く。ありがとうございました。
で、夜の年越しはボクの実家で寿キミ子慎吾由香理で、すき焼きとレタス巻きを食べこの年を振り返ります。いやいや、ただただ、食べて話すのでしょう。
「今年の紅白について」と「最近起こった事(怒った事)」でしょうか、話題は。

結婚して迎える二度目の正月。
去年よりそして独身の頃より落ち着いて迎えられそうです。

明日の朝日はみんながありがたがる。
でも。太陽にしてみれば、「なぜ、今日だけ願うのか?」って思うでしょう。
元旦でも、はたまた靖国問題8月15日でも、ボクの誕生日8月26日でも太陽は別に知ったこっちゃない。
でも、でも。
気分で、こっちの勝手な思いでその日を大切にすることって悪くない、うん。
だからこそ、この2006年が終わるこの日に来年2007年所信をここで表明したいと思います。

みなさま、しばしお付き合いください。

まずは感謝を忘れず生きてゆきます。
次に「謝罪」すること、謝る事、これに素直に、臆せず。
「ありがとう」と「ごめんなさい」。
「ホントいつもすいません、お陰様です」と「本当に悪かったです。謝ります、すいませんでした」。

そして、来年は「一歩前に」をモットーに。
2007年、ボクの日常の座右の銘は「一歩前に」です。

これまで、ボクはいつも具体的にテーマを掲げてきました。
今年は83キロまで痩せるとか、一対一で話すとか。
2年前は「お笑いライブ実行」や「海外旅行」など。
もっと前は「県体優勝」や「国体選手」。

それなりに、自分なりに、具体的なテーマを目標に掲げ、一年を生きてきました。
抽象的なるわけのわからないテーマで、口だけ、言うだけの人間とは僕は違うと思いながら、いつも具体にこだわって。
「その口だけって誰のこと?」って言われたら直接答えます。
ここでは割愛します(笑)。

でも、今書きながら思ったのですが・・・、今まで僕の気持ちの「言うだけの人間と俺は違う」が、2007年はその人達をも捕りこみながらやってゆく、そういうことで今以上にこれまで以上に一歩前に出る、そういう気がして・・・。
なるほど、「書く」って素晴らしい。

続けます。
そうなんです。「言うだけの人をわからせないとこの国は熱くなれない、暖かくなれない」。
キーワードは思考伝染か・・・。
どんな考えでも良いから、右でも左でもいいから、しっかりとした思考を絶やさない事。
うん。うん。やるぞ。やるんです。

「一歩前に」。
明日できる、今日にでもできる日常で「一歩前に」。
職場でのありふれた会議で「一歩前に」出て発したり。
社会人ラグビーで今までのボクの鬱屈を「一歩前に」出て吐き出したり。
大人たちが勝手に造った花園計画への疑問を異議を「一歩前に」出て発言したり。
組合青年部で「一歩前に」出て自我を貫いたり。
親組合へ本音を言って喧嘩を売りに「一歩前に」。
今から一対一で話す、ある友人・隣人・知人へ「一歩前に」踏み込み、聞けないことを聞いたり、言うべきこと言ったり。
日ごろから今までより「一歩前に」出て、踏み込んで、花園を目指す。
後輩達が立派な大人になる為に「一歩前に」出て、怒り、褒める。
・・・、いろいろです。

日ごろから「一歩前に」出る自分を追及し、課して行きます。

だからこそ。自律を。
健康への体調管理への律す。
コカコーラ、炭酸、ファーストフードは辞めます。
一歩前で発してゆくと、やはり疲労が憑き物。
だからこそ。肉体なり、臓器なり。

そして。
自分への甘えやサボリを脱してゆきます。
「このぐらいいいだろう」っていつも思っていれば、一歩前に出るぶん、叩かれます。
間違いなく、自分へ返却されるでしょう。
叩かれるなら「実のあること」で叩かれたいし・・・。
一年間は我慢し、犠牲に。

さて。
ボクの一歩前の最大なる2007年テーマは、そうです、母校花園出場です。
後輩達しっかり聞いているか?
やるんだ、やるんだぞ。

我らのこの命。
2007年、自己を鍛えることに傾けようではないか・・・。
結果的に全国。
まずは自己鍛錬だぞ。
油断してもいけない。
でも、決して自己をミクビッテモいけない。

結局、僕らは「立派な人間」になる為に毎日練習してんだ、生きてんだ。

立派な人間とはとどのつまり「人の命を尊ぶこと」だと思うんです。

さてさて。
ボクはここに2007年、所信を表明しました。

「頑張りましょう」って、なんか、無責任で嫌だ。
「頑張れよ」は見えないから嫌。
やはり、これだ、「頑張ります」。
これ以上でもこれ以下でもない。

みなさま、お付き合いありがとうございました。
どうか、どうか、よいお年を。

後は一歩前に出るオロゴンの健闘を祈ります。

2006年12月30日

律すのです。

あ~ぁ
明日の今ごろはボクは晦日の真っ只中。
だから
今夜だけはこの年を抱いていたい。

今年ももう一日です。
今夜寝て起きたらもう、アッという間で過ぎさる2006年。
終わるんです、うん、終わりなんです。

来年は「一歩前に」生きて行きます。
そして「自律」をモットーに。

一歩前に出るぶん、己を律さねばいけない。

明日、じっくり書きます。
そうです、2007年、林田にとっての2007年所信表明演説です。

2006年12月29日

昨夜はAM12時45分ごろ寝る。
起きたのは、AM10時。途中トイレに起きるが二度寝。
また目がさめるがまた寝る。三度寝。
完全起床が10時。嫁も。

起きて直ぐに「日向ひょっとこの湯」へ。
体重が91.0キロ。
サウナ、湯船で40分後、体重は90.2キロ。ダイエット、やや成功。

帰って今。
さっき飯を食いました。

昨日の鍋にうどんを入れて頂きます。

午後から宮崎へ。
二人で一泊二日の慰安旅行へ。今年の労をネギラッテキマス。

皆様にとってはどんな一年でしたか?
また来年もよろしくお願いします。

いやいや、まだ3日間あるな・・。
宮崎市温泉パウパウでアカスリ、サンドバス、ロウリュ、マッサージ(小牧さん指名)、癒してきます。

夜は嫁と梅酒居酒屋QOOに行って来ます。

2006年12月28日

この年。

AM7時15分起床。
起きる。最近は呑む日が多い。
昨夜も、その前も。
で、今夜も少し家で。昨夜は「はなぶさ~青年部6名で」で。
その前は「岩倉君と嫁、我が家三人で」。
今夜は二人で。カルアミルク少し、酎ハイ一缶。

仕事終わりの今日。
終わりました、2006年の勤務すべてが終わりました。
午前は市内道路の穴埋め。午後は大掃除とごみ捨て、やっぱり穴埋め。
これで正月6日間、緊急出動が無いことを祈っております。

長かったようであっという間、でも、やはり、振り返ってみればいろいろあった2006年という一年間。
ホント、もうこの2006年は我々にとって振り返る年になるんです。
あ~ぁ。人生、我らはいつまで生きれるの・・・。
そして、いつまで生きていればいいの・・・。
どこまで続くの、この線路。

夜、二人で会話しながら飯を食っていたら、嫁がこう言いました。
「悔いはないやろう」。
「うん、確かにそうだな」。

ボクにとってのこの一年。
復帰の年。
対話の年。

思ったほど憎しみは無い自分に気づく日々。
怒りの毎日。

諦め。
決意。
覚悟。

結果。
嫁。
いじめ。

闘い、リセット、また闘うのか?

・・・。

もろもろ、いろいろ。

来年も頑張ります。

2006年12月23日

明日はクリスマスイブで、明後日はその日。
独り者には、はた迷惑なイベント。

僕は甘いものが大好き。
子供の頃、2月14日にロッテガーナミルクチョコを買ったら、レジの馴染みのネェサンに
「あら?自分で買うと・・・」と。

僕にとっては毎日でも買いたいチョコレート。
買ったのが、たまたまその日であって・・・。
あ~ぁ、イベントにそって生きて行く人生なんて・・・。

午前中は鐘ヶ浜学園へ。
すべて、終わったのがPM1時15分。

疲労感はあまり感じなかった。
何よりホッとしたよ。
皆さんのお陰でホント、いいイベントになりました。ありがとうございました。
そう、マスコミやマーケットが作り出したイベントに沿って生きるより、自らでイベントを企てる。
そこに僕は甘味を感じる。
そして、2月14日でもフツ~にチョコを買わせてください。

平岩小学校を後にしてラインカーを富中ラグビー部に返しに行き、親父に軽トラを返しに行く。
実家で風呂に入る。
そこでやっと我に帰る。少し脈が落ち着く。
ホッとした。

湯船に浸かりながら、振り返る。
ホッとし、安堵感と寂しさも。
運動会の帰路みたい・・・。

今日という日、僕の「命」は誰かのお役に立っただろうか・・・。

家に帰る。カレーを作る。
嫁が帰ってくる。
夕方、一人で大王谷の小山に行く。
一人ストレッチを。
散歩を。

家に戻る。
FM出演、兄のラジオを聞く。ポッキーさんの。

嫁と塩田のばあちゃんとこへ顔を出し、一年の挨拶を。
じいちゃんに線香を。

すると電話が。呼び出し。
親父から。酒酔いにつき合わされる。
甥っ子も実家に来ていた。

甥っ子は爺ちゃんの酒癖にあきれている様子。
甥っ子を家に送ったのは僕。

小学4年と中学1年の二人へ帰り道中、僕のボクシィーで一分間話す。
「人には、いいとこ悪いとこ、どっちもある。
爺ちゃんの酒癖、慎君も良いとは思わない。でも、息子ヤカラいいとこも知っている。
お前達もそうだろ。
だから、人を見るときに、いいとこだけで、また、悪いとこだけで判断していけない。
すなわち、自分もそう。
悪いとこだけではないから、それだけで自分を悪く思ってはいけない。
自分のいいとこを磨き、そして悪いことが指摘されたらしっかり謝ればいいんだ。
以上、いいな!」

「ハイ!」と。
しっかり返事が返ってきたよ。

小さい頃からいろいろな人と接して生きて行くことって、とっても重要である。

帰ってカレーを。
79点です。明日はまた良くなっているでしょう。
みなさん、取りに来るならアゲマスヨ。

家に帰り、ゆっくり風呂に再度。
すでに筋肉痛が出てきたよ。
明日が思いやられる・・・。

朝のうちは、鐘ヶ浜以外は何の予定もなかったが、終わってみればいろいろでした。
親父、呑みすぎるなよ・・・。
でも、甥っ子やボクにはいい勉強になった。

お袋は、「激怒」ならぬ「激冷」でした。(笑)。

疲れた。今ごろ、ぐっと出てきたよ・・・。
寝ます。また明日。

今日は爆発の日。

今日は決戦の日。
今日は勝負の日。

鐘ヶ浜学園に行きます。
子供達、そして、市役所の男女若手を主にレクレーションをやって参ります。

サッカー、大縄、休憩。そして、玉入れ、ドッジボール、リレーです。
総合司会、トータルマネージャーをやって参ります。

昨夜は豪州男前クレイグと呑みました。
良い酒でして、呑み過ぎました。

夜10時には寝て、今朝5時に起きました。
少しだけ後頭部が痛い。呑みすぎだ。
でも、だいぶ疲れはとれました。

では、行って来ます。

2006年12月21日

昔の僕へ。

晴れの日ばかりではない。
雨の日もあるんだ。

今、君にとって世界は雨ばかりでもいつか必ず小雨になり、晴れるときも来る。
でも、また雨は降るでしょう。

こう、いつも笑っているこのデッカイおっさんでもいろいろあるんだ。
昔からの友人を今でも憎んでたりも。
人に好かれようと必死だったりも。

時間が解決するようで解決できないこともあるんだ。
だって、また日は昇るんだモノ・・・。
日がまた昇ることにより朝が来て、嫌な奴にまた会う日が始まる。
でも、日が昇ることにより、良い仲間にも出会えたんだよ。

松井秀喜さんは言う。
「君は無理して立ち向かわなくていいんだ。
誰かがつくった世界に君が入らなければいけない、ということはないんだよ」。

デッカイ慎吾おっさんは言います。
「いじめた奴はロクな人生送ってないよ。
おそらく、彼も愛情不足なのだろう・・・」。

雨が降ることにより人間は「傘」を発明したんだ。
ストレスや苦悩は厄介、実に厄介だが、ストレスや苦悩が自分をつくっているのも否めない。
でも、その雨が大雨ならば、家でゆっくり休むんだ。
じっくり自己を検証しながら、日常をサボるんだ。

最後に。
この世界は妖怪だらけ。
その妖怪に立ち向かう必要は無い。
君がすべきは仲間を創る事、そして、自分に向きあうこと。

友も、恋人も、まってチャ~ツクレナイ・・・。

行くがな・・・

今日は雨ですな。
小雨ですな・・・。
でも、青空も見えています。

朝っていいものだと。
2007年感じるようになりました、なれました。

さて、今朝も行って来ます。
何かに取り付かれた様に、行って来ます。

2006年12月20日

電車通。

初の電車通勤。
行きは財光寺駅AM7時35分発。
帰りは日向市駅PM9時58分発。
3分で。

たまには、いいものですな。
溜息色した通いなれた道を、高架から見下ろすと、なんか、違って見えるよ。

渋滞の緩和はいいことです。
かなりなお金が掛かっているのも事実。

駅前で漫才でもしようかな・・・。
間違いなく、滑るけど・・・。(笑)。(汗)。

そして、夜は「兜」で甲斐さんと今年の慰労会。
今年出会った友人の一人、ユーワン甲斐さん。
整体師。

いい酒でした。美味かったモダン焼き。

亀田君、ホント、おもろない試合だった。
でも。
「どんなときでも批判されたときでも守ってくれた親父に感謝・・・」
って言う彼の涙には僕は少しジンときた。

でも。
この親子を食い物にしているTBSは情けない・・・。

言っておく。
あの試合はテレビ局が仕組んだ八百長である。
間違いない。

おやすみなさい。

2006年12月19日

結局、八幡へ。

しかし、喰いすぎた。
ホント、食べたよ。

今、帰りました。
忘年会は「八幡」で。
で、末の休みの昼にでも「酒膳日高」に行く予定になる。

嫁は食って呑んだよ。
僕の飲み物は水とお茶。無料飲み物ばかりで八幡泣かせ・・・。

帰りは僕のVOXYーで。
帰って今度は歩いて役所へ。
嫁の車を取りに。「歩くなら私も行く」。
夫婦で役所駐車場へ。
約40分の有酸素運動となる。途中、高架になった日向市駅へ行く。
「行ってみたい」と。

確かに奇麗です、立派です。でも、借金の匂いが・・・。
でも、これによって渋滞は格段緩和させる。
また、一旦停止がなくなることにより、排気ガスも少なくなるのでは。

これを生かすか殺すか、我々にかかっている。

簡単に、そして、今風に言えば、
『後はソフト』。

街づくりとは街に住む人づくり、です。
これからです。
僕らなのです。

明日は財光寺駅から日向市駅まで電車通勤してみます。
「初」の電車通勤です。

また明日。
しかし、喰いすぎだ・・・。

忘年会その①。

PM6時30分にパッと起きました
その後、目覚ましが数分後に鳴り、嫁も起きる。
共働きの朝は二つの弁当を造る嫁、そして僕は朝シャンならぬ、朝洗濯モノ干しから始まる。
もちろん、だるいときは、嫁に洗濯モノ干しをまかせ、「弁当はいいが、天領うどんでも行くぞ」。
って言ってます。
そう、予定は未定で、変更自由な方がいい。
日常ってそのぐらいがいい。

今夜は「酒膳日高」に二人で飯食いに行きます。
一足早い忘年会です、夫婦の。

僕らはよく喧嘩するぶん、「忘れること」「忘れる必要があること」が多すぎるから、正に忘年会が必要です。
今夜が第一回。
で、週末に宮崎市「QOO」で二回目。
年末にいつもの八幡で。

そんな感じで行って来ます。

2006年12月16日

みなさん、おはようございます。
今時刻はAM11時ですから、「こんにちわ」でも、「おはようございます」でもどっちでもいいのですが・・・。僕はその日会った人、「初」の挨拶はいつも「おはようございます」の方が、良いって感じている最近・・・、皆様におかれましてはいかがお過ごしですか?

2006年も終わります。そう、終わるのです。
もうこの年は振り返る年になるのです。
そう考えながら、皆様に年賀を書いております・・・。

う~ん・・・、しかし、月日はホントにアッと言う間ですな。
この間の竜巻、そして今、世はクリスマス。
年明けのホリエモン騒動、村上も御用で、今年は「日本ハム」がお中元をお歳暮を制す。
今、新庄の心情は?
今、ホリエモンは・・・。

サッカーワールドカップもありました。
中田の引退。示談できたのか、ジダン。

そして、そのまんまの出馬に安藤さん、今拘置所で何を思う?
ホント、今、何をあの人は考えているのだろうか・・・。

後何があったっけな・・・。

僕自身を振り返ると。
一言で言えば、佐々木と雅樹と嫁のお陰で「ラグビー」に戻れたこと、これに尽きる。
そして、高校生のお陰だ、柏田、宝、哲史、阿部、やっさん、大地、ユウスケ、シュンスケ・・・、ありがとう。君達は僕の子供だ。ホントありがとう。

あれだけ嫌になった楕円。
自分の汗が苦労が報われないと感じた、なんてアホな、なんて気にしすぎな自分自身・・・。
大空も見ては、後悔の楕円だった。
しかし、彼ら後輩に出会うことで自分が如何にラグビーから学んでいたか、如何にありがたいスポーツか・・・、思い知らされました。
結局変わったのは楕円でもなく、僕自身の気持ち。

20代の頃は尖がってたと思います。
今でも突っ張ることが大切だと思います。
でも、この33歳を迎えた今、この年はこう思ってます。
「自分には敵もいるが、味方もいるな・・・」。
「でも、敵って言うが、僕を理解してのモノかな・・・」。
「別にどうだっていい・・・」。

20代で自己で造ったもろもろを今、噛み締め、そして、いつもより多く噛んでいる最近です。
胃の具合も良くないし(笑)。しっかり噛まなくては胃にくるし・・。
年齢って、年をとるってそういうことかも・・・。
何事も月日を重ねて熟成してゆくものでしょう。
慎重になり落ち着いてきて、寡黙になり魅力にもなると。

イイ事もヤナ事も、実は同じであったりして・・・。
嫌なことから自己検証に嫌が上でも入り、自己を造って行く。

親友佐々木はこう言います。
「試練とはいつも突然やってくる」。

ご意見番雅樹はこう言う。
「郵政民営化でもまぁ、なんとかなるさ・・・」。
彼は郵便配達員。

嫁。
「書かんでいい・・・。私のことは・・・」。
【笑】。

2007年、前に出ます、一歩。
今年よりいろいろあるでしょう・・・。
でも、それを己を造る試練と位置付け、がんばります。
みなさま、どうぞ、よろしくお願いします。

月曜朝はかなり冷えます、風邪に気をつけます。

2006年12月13日

パンシロン。

コーヒーの「もみすぎ」か、いや、「飲みすぎ」か、わからんが、胃がむかついている。
メマグルシイ週末の多忙もあるだろう。
仕事に未だに慣れてないのもあるだろう。

人に雇われるのは嫌で、
自営業を始めたいって思うこともあるだろう、サラリーマンなる僕やあなた。

でも、そういった兵隊の苦労は兵隊にしかわからない。
ろくでもない指揮官の下、働かなくてはいけないこともある。
でも、そんな時、上下の関係より、横のつながりで救われたりもする。
そう、「俺も疲れてんだよ・・・」。
そうか、「あなたもそうか・・・、ならば、耐えるしか・・・」。

突っ張ること、尖がる事。
そして。
妥協すること。いやいや・・、合わせること。

どっちも素晴らしい。
そのままで。
ありのままで。

結局、ストレスや多忙が充実を生むのも否めない・・・。

また明日。
パンシロンでも飲んで寝ます。

2006年12月11日

原稿です。

「自分は誰の役にもたたない人間だ」
そういった気持ちから「うつ病」は始まると言う。
人間は結局、「誰かに優しくされたい」より実は「特定の人に優しくしたい」のだと。
そして。僕は地域密着の漫才師。
子供の頃から「笑いたい」より「笑わしたい」。
お楽しみ会のトリは「俺に任せろ」である。

今年もやって参りました。
年に一度の恒例行事。
日向市平岩鐘ヶ浜学園での「餅つき交流会」。

鐘ヶ浜学園については伊達さんが書いてある通り。
今年は学園の新施設建設中の為、餅つきはナシで、レクレーション一本です。
間違いなく、(日)、(月)は筋肉痛です。
サッカーと大縄飛びはいつも通り。
そこに今年はドッジボール、リレー、玉入れ。

平岩小学校グランドから始まり、グランドで昼食を、大空の元、元気いっぱい。
大人は子友と触れ合うことでガキの頃に戻って、子友は大人と接することで紳士的になるのです。

僕は今年で役所10年目。今年で鐘ヶ浜訪問10回目。
僕の唯一の組合活動といってイイでしょう。
僕は青年部を離れても、誰かに「来なくいていいよ」って言われても退職まで行くのです、行き続けるのです。

学園の子友を笑わすために。
真剣に僕はハッスル致します。

結局、僕も誰かの役に立ちたくて10年間欠かさず、行っているのだと思います。
みなさん、多数のご参加が必要です。

どうぞ、よろしくお願いします。

2006年12月10日

イイ夜でした。

ラグビー部に関わって、「はや」、中学一年からヤカラ・・・、今年で21年です。
そうです。今年で21歳です。
考えてみれば、僕のラグビー人生、成人に。

成人とは「次世代育成」に主力を置くべき。
それが僕の大人のテーマです。
最大なるそして、最高のテーマ、それは今日でも明日、明後日でも現実の日々の中でできるのです。職場で、公園で。
僕は今、僕自身の主張を如何に他者に、そして組織にナゲルカ?を考えながら生きております。
その中に、「次世代育成」が低盤にあるのです。

「青少年育成!」・・・なんて、誰でも言っている。
【今日はこの言葉に対しての反論は止める。長くなるから・・(笑)】
「人を育てる!」的な本が如何に多いか・・・。
【おそらく、ホントに読んで欲しい人は買わないのだろう】

昨夜、新チーム保護者会がありました。
保護者代表者が変わり、3年生の親の挨拶や新代表の挨拶など。
飲み食いをしながら行われた。
僕も行きました。監督や部長と少し話、生徒達の親と話すことを目的に僕は行きました。
その主題通り、大地のお父さん、お馴染み哲史パパ、秀平パパ(職場の上司)、旧代表坂本さん夫婦、旧副代表柏田さん・・・。

一番盛り上がったのは和夫のお母さんと晃のお父さん。
最後の一本締めまで話しました。
いやぁ~、楽しかった、ホント。

僕はこの5ヶ月で生徒達の名前を全部覚えたし、それぞれ、一対一で何かしらの話をしたし、その話した内容をこっそりそのお父さんお母さんに教える。
「えェ!・・・、親には言わないもんねぇ・・・」
「ホント!?確かにねぇ~・・・」

みなさん、やはり自分の子供の成長を感じて、
「何とかして支えたい、続けさせたい」
必死の思いです。

子供を育てたことの無い僕が言うのも何ですが・・・。
生徒達よ、君たちも、僕も、親に支えられて生きてるんだ。
そのスパイクは誰に買ってもらいましたか?
遠征にはかなりのお金がかかるよ。

今、君たちに、この給料取りの苦労がわからなくとも、いずれわかる。
その時でいい。その時で、わかった時でいいから、噛み締めるんだ。
僕も今噛み締めてます。
偉そうなことは言えない、親に「口モガイ」だらけの青春の僕でしたから。

わかったときでいい。
わかったときでいいんだ。
わかったふりはしなくていいよ。
そのままで、そのままで大人になるのです。

「慎吾の親父に『先生、慎吾を殺してもいい』って言われたぞ」
僕が高校2年の頃の保護者会で寿(永江2丁目の31番地の主)が恩師節賀監督に言ったみたいです。

僕は昨夜、晃のお父さんと、カズオのお母さんに言われました。
「殴ってもイイから、鍛えてください!
僕達はラグビーわからんから、教えてやってください」

僕の夢は学校の先生でした。
そんな夢を持っていた僕にとって、昨夜の呑み会はホント、楽しかった。

日向高校OBや日向ラグビー協会が唄う(正にカラオケで歌うだけか・・・)。
「花園へ行かせようプロジェクトチーム」。

僕にとっては関係ない。どうでもいい。

ただ、僕ができるはグランドという現場に行く。
そして、「汗」をかく。
一対一で「語」る。
監督、部長と「美味く」やる。
立派な「社会人」になるよう、促していく。
結果的に「あそこ」に行ければいいな。

まずは向こう一年。
私の生かされてきた命を我が後輩に、傾けます。
2007年はそれ一本で。

僕の市役所でのストレスや、僕への陰口を、自己のエネルギーに転換して、後輩達に語って行く。
「世間は甘くないぞ。でも、大したこと無いぞ」と。
そして。
「感謝」
「覚悟」
「闘い続ける意志」。

やるぞ。
いくぞ。
やるんだぞ。

僕らの命には限りがある。
灯すんだ。

素晴らしい、夜でした。

2006年12月09日

そのまんまは。

そのまんま東さんは出ます。
間違いなく、知事戦に出馬します。

最近は宮崎と東京の往復らしい。

彼が出るか?どうかではない。
出るのです。
そして、一月か八月か?である。一月だと思う。

前知事(もう、前が着くんだね)は辞職なので一月やってもまた八月にやならいといけない。
失職ならば一月から四年である。
僕は解散すべきだったと思う。

拝啓 前知事様。
一月の知事選では約6億以上のお金がかかる。
安藤君、ホントいい迷惑ですよ。
君の私財を投入してくれませんか?
敬具 はやしだしんご。

さて、そのまんま。
彼の過去をみなさんは知ってますか?
「未成年の女の子とどうたらこうたら・・・」

では、あなたはチャンと説明できますか?
噂好きのあなた、東を批判するならするで噂の根源をしっかりとした検証をしてますか?
あなたに東を中傷する資格がありますか?

でも、僕は思う。
東は芸人としておもしろくないと。
僕のほうがおもしろい。

でも、彼のグログやコメントを見ると、文章が書ける。
そして、いつも走っていることはいいこと、尊敬できる。
継続って大変ヤカラ。

女好きであるのは間違いない。でも、僕も然り。
う~ん・・・、彼に、この県を任せれるかは?今からの彼の言動しだいです。
奥さんと別れたのはやはり、ショックだ。
これから僕は何があってもこの嫁と一緒にがんばる気だし、がんばって欲しかった。

でも、この宮崎県は多少奇抜でも、新しい人に託す方がいいのかも。
宮崎県出身の元官僚や代議士秘書等の「その道」の人より・・・。

東さんに期待します。しっかり、僕はあなたのこれからの『言動』を見てゆきます。

2006年12月06日

この国は・・・。

しかし、この島国の人達は・・・。

石原真理子が誰と付き合っていようが、誰と夜を共にしようがどうだっていい。
ホントこの女やこの本を出した出版社は何を考えているのだろうか・・・。

イチイチ、ネットもテレビも、そして、俺も、取り上げるな!
バカタロ~!!

そして、何より。
この本を買う人間も買う人間・・・。
この国は今、雑誌が売れない、そして活字離れと言われている。
しかし、暴露本は売れる。
作り物の小説より、実名暴露のゲバゲバが売れるのだ。

暇人たちよ、企業小説を読め。
バカタレ、アホンタレですよ、買う奴は・・・。

しかし、芸能人って今や、もうただのテレビに出てる人になってきている。
ホント、テレビが危ない。

兄貴、頼むぞ。
弟も、がんばります。

おはようございます。

おはようございます。
只今、時刻は5時25分です。
昨夜はPM11時ぐらいに寝て、さっき起きました。
目がさめて、もう寝れないのです。
おっさん化現象でしょうか・・・。

昨日夕方久しぶりに日向高校ラグビー部に顔を出したせいでしょうか・・・。
どうも、体が興奮しております。
久々、現場の空気を吸ってきました。
体感してきて、その興奮がまだ僕の体にあります。

今年の6月から行き出して、今、僕の生活になった母校での格闘、そして後輩たちとの対話。
それは自己との対話であり、またあの時の己を振り返っての自己検証でも。
そうです。
若いものの力をもらい、我がの哲学を深め、そして、伝えてゆく、彼らに。

森田監督に会い、少し話し、土曜日の大分工業との練習試合について、もろもろ話す。
夜は保護者会があるそうです。保護者からお誘いを受けました。
行って来ます。

久しぶりに後輩たちへはこう言いました。
「今日は満月。今は少し雲に隠れているが・・・。
満月のことを十五夜という。15日で満月が来る。

そして、こう思え。
満月が来るたびに、この間の満月の時よりか自分自身が成長しているか自問していこう。
満月のたびに成長していこう。
その積み重ねで、一年後、花園に行こう。
俺もこの一年、哲史率いる、裕也率いるこのチームに真剣に関わる。

そして日向高校歴史上初の花園へ、行こうではないか。
いいな、(ハイ!)
やるぞ。(ハイ!!)

お久しぶりです(笑)」。

僕はこの一年、彼らに我が生命を傾ける。
面舵を斬る。

そういうことを勝手に僕は「ロマン」と思っている。

朝、目覚めて、寝れないはずやわ・・・。(苦笑)。

2006年12月05日

がんばります。

久しぶりに母校へ行く。
仕事終わってグランドへ向かう。

新チームになって初。
しかし、僕のラグビー人生の中で言えば、今が一番、楽しい。

僕は中学一年から始める。今年で18年目です。
嫌になったり、離れたくなったりして、いろいろもろもろありましたが、ここまで来れました。
これは何より嫌になったりした時に、耳をしっかり僕の悩みに傾けてくれた友人達のお陰です。

於久、まぁ君、ゆかり、ササックン・・・皆さんのお陰です。
栄蔵さんもありがとうございます。

また、闘ってゆきます。
この一年、後輩たちとしっかり格闘します。
何より、これを優先します。

がんばります。

後はマァ君が来るのを待ちます。

2006年12月04日

高②の生徒、感想です。

「口ばっかりの君に告ぐ。
自分の頭でモノを考えろ」。
………この言葉に何か心を動かされたような気がします(??)
口ばっかりだけではいけない。自分の頭(脳みそ)で考えなければ新しき一歩前に進むことはできないと僕は考えます。

ただ監督に頼りすぎている僕はある意味、監督、そして部員に迷惑をかけているような気がします。

今日の練習は最初にサイン練習、次にコンタクト1対1、次にリアルゲーム、最後に個人練習をして今日の一日の練習が終わった。
僕は今日のリアルゲームのときになんだか気持ちが弱く、人に頼りぱなしではないかと改めて思った。
『このままでは……』っと。


だから、決めた。『間違ったことでもいいから自分の意見を話そう』と。
メンタルになったからには頑張っていきます。

林田さんのメールの内容は自分のためになり感激します。ありがとうございます。

2006年12月03日

ブログ。

木曜日、金曜日の二日間、研修で宮崎市に。
土曜の午前中まで宮崎市に居た。
帰ったのが、Pm1時前。
2泊3日の宮崎市小旅行。良い休養になりました。

温泉パウパウでサンドバス、マッサージ、アカスリ、これがかなりな垢が出る。凄い量に。
垢漁ならば、大漁です、間違いなく。
いかに自分が汚れていたか、わかった。ホントすっきりした。

昼飯木曜は宮崎市の友人金澤君と。
金曜の昼は「詩季」で。二日間の研修で出会った都城市役所の二人と僕で。スパデチィを。
お互いの職場でのいろいろ、もろもろを少し、話す。
出会ってもうすでに食事をするこの林田の積極性はみなさん、見習ってくださいよ(笑)。
研修の中味より、その場で会った人と何らかの友人に、知り合いになる、これがもっとも大切だと思います。
もちろん。研修の中味は、良い勉強に。今後の思考に入ってきそうです。

で、金曜の最後にお互い名刺交換をして、僕はフザケタ(?)似顔絵名刺を渡し、二人からはしっかりとした「都城市役所~」って書いてある名刺をもらう。
ホント、良い研修となりました。

木曜夜は宮崎市の友人、宮崎日日新聞記者の杉尾さんと呑み会。
そして、二日連続、友人児玉に会う。いずれも宮崎市を歩く。
ホント、良い休養になりました。
で、昨日の午後帰って来て、役所後輩二人と話した。

で、今日。
AM9時前に起きる。寒し、さむし。
起きて一路、港の森公園へ。
ラグビースクールへ。少年少女たちと一緒に走りに。
AM10時から、PM12時過ぎまで。
しかし、少年達と一緒に走るのはイモノデス。
「ハシレ~ぇ~ッツ!!」
「わかったら返事をしろ!」
「ナイスタックル!」
「お前はアタリが弱い。でも、年下の面倒見がいい。ラグビーが上手くなるより、それのほうが重要だ」
なんて、いろいろ話す、叫ぶ、オラブ。
実にいいものだ、晴天にモッテコイの「港の森公園」での青少年育成。言い過ぎか・・・。

帰って直ぐに着替えて、PM1時前には亀崎コミュニティーセンターへ。
社民党党首の福嶋さんが講演に。
開演前、その会に来ていた、役所後輩と話す機会が。短い時間だったが、実に中味のある話ができた。
黒木さん、ありがとう。

開演、PM1時半より。福嶋さんは約1時間話す。
前列、まん前で話を聞く。党首は少し疲れている感じがした。

しかし、なぜ、今こんなに社民党は人気が無いのだろうか?
議席、世論調査を見ても・・・。
今一度、自己検証、自党検証から一考すべきだと思う。

僕は平和を語るなら、北朝鮮について社民党はどういったスタンスで望むのか?
講演して欲しかった。時間に限りがあるし、しょうがないか・・・。
今度手紙でも書いてみようかな・・・。

僕は思う。
自分の一票は自分で決める。
選挙だけは、押し付けられたくないし、誰にも押し付けたくない。
「組織票」や「誰かに頼まれたから行く選挙」では何の意味も無い。
意味が無いどころか、悪だと思う。
余談だが、夕張市もそうやって破綻したのではないか・・・。

だからこそ、僕は組合や組織、関係なく、自分で話を聞きに行く。

行かねば、批判をする資格がない。

「口ばっかりの君に告ぐ。
自分の頭でモノを考えろ」。

パチンコとか行ってないで、もっと君の言動に責任を持て。
僕は2007年、一歩前に出る。
批判精神をベースに、一歩前に、です。
 
よろしくお願いします。
そして。
覚悟しておいて。

僕は覚悟をします、残り一ヶ月で腹、ククリナオシマス。

で、帰って飯。
今日初の固形物飯。
嫁が作っていた、シチュー、芋のにっころがし、サラダ等を食べました。
嫁は朝から家出してます。
高校からの友人達と宮崎市のJALホテルのケーキバーに。
なんでも、有名なパテシエが来ているらしい。ハシャイデ、出て行った。
今だ帰らず。居なけりゃ居ないで、やっぱ、寂しいものです。
でも、さっき、エロチックなDVDを堪能しました。ウッシッシ・・・。

それと、さっき夕方、昨日も話した、役所後輩と再度一対一で。約二時間。

さて、今PM8時25分。
風呂でも入って帰り予定10時の嫁を待つとしましょう。

今日の日よ、ありがとう。そして、さようなら。

昨日の語りからの感想返信メール。

『おはようございます。
昨日はありがとうございました。そして陥没の件はホントにすみませんでした。
3年目になって仕事に対してのダラケはあったと思います。反省しております。
さて、昨日『自分を見つめ直してみます』と言ったので、ここからは僕なりの感想文を書いてみました。

昨日林田さんにはケチョンケチョンに言われちゃいました。
僕にも27年の人生があり、ポリシーもあるんで、今から大きく変わることはないですが、悪い点は改善していきたいです。

林田さんと僕で比べても考え方とかまったく異なると思います。
自分の性格として他人の目みたいなのを殆ど気にしないところがあります。
気にしすぎるのもあんまり良くないことと思いますが、僕の場合、多少は気にして襟を正すべき時もあると思います。

最後に昨日、林田さんと話して後輩なりに思ったことを書かせてもらいます。
林田さんは少しナーバスになっていると思いました。実は少し前から思ってました。
「聞いたことありますよ」「聞いたことあります」の言葉であれだけの事を言われたら、僕はもう会話できなくなります。
僕から見て林田さんは批判されるような事は一切ないと思います。人間弱い生き物なんで、何をしても批判・愚痴は言われます。
僕も今「OOO」から相当言われてます・・・生意気言ってすみませんでした』。
(大王谷で語った後輩より)

『OOOです。
今日は、ありがとうございました。

さて、歩きながら話していたことですが、
親しい人と会話を楽しみながらウォーキングする人のことを
「ランブラー」と呼ぶのだそうです。

BE-PALの11月号に載っていた言葉です。
以下のページを参照して下さい。
http://tsumuraya.exblog.jp/3982698

それでは、また』。
(昨日のランブラーの後輩より)

2006年12月02日

語り。

結局、自分を信じるしかない。
自分の苦しみはやはり自分しかわからない。
だからこそ、僕は自己を尊敬できる人生を歩んで生きたい、行きたい。
そんな、日々を造って行きたい、造って、逝きたい。
そう、いずれ、僕らは終えるんだ。
自らの道を決断し、自らで造って行く。
それができるのは、生きているうちだけです。

僕は今日、後輩二人と真剣に話しました。
それぞれ一対一で、約2時間ずつ。

一人は大王谷運動公園野球場外野席で。
PM2時10分よりPM4時まで。
富中と大王谷中が試合をしていました。結果は2対0、地元中。

で、その後、富校前のコーヒー屋で。
コーヒー屋で30分。
今度は歩きながら。「ランブラー」。
実家前の永江公園へ。小学生と一緒に遊んだりも。

しかし、やはり、生きているうちに、だ。
生きているうちに「語るのだ」。

以上。