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2006年09月27日

さまざまなる反応。

自殺者が減らないのは人間関係が希薄であるからだと思う。
自殺者は死にたくて死んでいくのではない。
本音は間違いなく死にたくないである。そして確実にそのメッセージを近くの人に発している。
止めて欲しいのだ。心底。
自殺者の周りには本音で語れる人がいないと思う。それ故死を選んでしまうのだろう。これまでそんな環境を作れなかった本人にも責任はあるだろう。でも自殺を思いとどまり、そこから強く生きているひともたくさんいる。人を救うなんてことは簡単ではない。でもね、経験や知識なんかじゃなく人は人を救えるものだと思う。
(児玉33歳、郵便局)

自殺かぁ…。難しい問題やね。
生きてる人は『なにも死ななくても…』って思うよね。
でも人間って弱い者。苦しんで苦しんだ人に前向きに生きろなんて無理な話し。
苦しい時って きっと考える力も侵されて『自分が死んだら周りが』なんて思う余裕すらない。
ある外国人が言ってたけど『なんでこんな豊かな国でこんな自殺する人が多いのか分からない』って。
国が豊かだから心まで満たされているとは限らない。つい先日うちの患者さんが自殺を図りました。
理由は『自分の生きている意味が見いだせない。生きてる事が周りに迷惑をかけてる』すごく辛い言葉でした。 死んでいく人の気持ちは きっと誰にも分からない。すごいカウンセラーでも。もし、私達に出来る事があるとすれば 亡くなった人を惜しむばかりでなくて、そこから生きる事の尊さを学ぶ事。自分の道をしっかりと一歩一歩 歩む事。
自分の家族を恋人を愛するように 他人も愛す事。許す事。受け入れる事。生きてる事に感謝する事。
常に私達は すべてのものに生かされてる事を忘れてはいけない。
ある老人に言われました。その人は80から大学の勉強を始めました。
『私は死ぬ為に勉強するのよ』って。
(看護士 2時の母)

まわりに常にアンテナをはりめぐらし、そういった事に敏感に反応できる人間でありたい。そして、自分のまわりに笑顔が絶えないような、環境を作りたい。 頑張ります。
(漫才相方佐々木 32歳)

2006年09月24日

季節感

秋がきました。
ホントいい季節です。

夏は母校後輩達と例年以上に汗をかいたのでホントいい季節を感じます。
今朝は初毛布。

四季折々を実感するこの年。
人生に季節があるって良いものです。

4、減らない自殺者の数

自らを殺して今他界している人に
「また現世で生きてください」と言ったらどうするかな・・・。
「生きる事より死ぬ方が良い」だなんて、
これは残されたものに対するある意味、「挑戦」です。

もし僕の妻が自殺したら僕はどう生きてゆけばいいのか・・・。
反対に。
もし僕が自殺したら妻はどう生きてゆくのか・・・。

僕の友人知人、5人自殺しています。

日本の社会問題であり、そして近所の問題。
僕自身、熱くしてゆかねばならない半径5mの問題でもあるんです。

「皆さん、どうしますか?この社会を・・・」。
「殺人も多くなり少年達の犯罪も多々なる昨今、自殺者の数もこれまた問題だと」。

でも思うに人生に選択の自由があるなら自殺する選択もあるのです。
「いや、そんなのない・・・」。
「でも、その人は死んで安心しているなら・・・」。
「これこそ、安らかな眠りに着けたのでは・・・」。

でも、でも、残されたものはどうする?
もっと、残されたものへの配慮はなかったのか?
でも、あれだけの苦悩を抱えてどう生きてゆけばよかったの?

残されたものって言うが、ではあの時、ああなる前にあなたは何かしました・・・?
僕は何もしてないですが、あなたならもっとできたはず・・・。

あなたも、あの人も・・
なぜ話し合わなかったのか・・
喧嘩や言い愛(言い合い)ができたのではないですか?
叱咤すればよかったのに・・

何が多忙だ
何が事情だ
何が自分で精一杯だ
日曜にパチンコしてるジャン
平日夜にご機嫌で呑んでるジャン

デーブは言う。
「日本ほど恵まれてる国はない。メンタルヘルス、自殺者、いろいろあるだろうけど、もっと他に恵まれてない人や国はある。もっと、この国のありがたさを知らないといけない」。
って、真面目にそしてギャグ溢れて言っている。

失業者と自殺者は比例すると言う・・
職がこの国を支配している。
仕事の憂鬱がもっともなる「鬱」で「圧」で・・

お通夜の席で無神経な人は言う。
沈痛な面持ちで「いろいろ苦労があったとよねぇ~、あの人も」。
死んで初めて同情するヤカラ達・・・。

「自分で精一杯で何もできなかった」と。
「限界」なんて、自分の力いっぱいを振り絞っても届かない時に初めて言える言葉。

「わからなかった、あの人の苦労が」と。
もういい、結果は。
でも、わかろうとしましたか?
「理解」しようと「誤解合い」を「解消」しようとしましたか?

そして。
自殺した人たちよ、ディズニ-ランドに行くのを楽しみに、小児ガンで7歳と10日で亡くなった大志君をどう思うヶ?
彼は余命が無いって知っていても小学校の勉強を毎日欠かさず。
そう、人間は食べて生きているのではない、
夢があるから、
希望を持つことで生きてゆけるのです。

自分自身に喝を。
社会にテーマを。
隣人と喧嘩を。

激しく熱く、そして季節を感じて。

僕は生きます。
もう、これ以上友人達を死なせない。

2006年09月23日

3、この時代に絆がテーマにされるのは

こんな時代さ
病気にならない方がむしろ病いさ
でも でもさぁ
やはり闘うしかないのさ
やるしかないんだ

こんな俺だって
いつも泣いてる
いつもくよくよさ

最近ではくよくよとオトモダチさ
今では僕のほうから誘いに行くよ
夜が深まると
僕が誘いに

闘って凹んで
凹んでまた闘って
繰り返し
繰り返しを繰り返し

今思うに人間ってそんなに進歩しない
進化なんてなんのこっちゃ
今思えば僕もガキの頃からさほど成長してない
でも でもさぁ
やはりこの命さえあれば
明日にリベンジ
明日なき闘い明日こそ

僕は君に出会って良かった
ホント君は友達
今友達

一人じゃない
一人なんてない
僕が居るじゃないか

闘いだ癒しだ
自分自身
そして仲間達

僕と君に絆があるかなんて誰にもわからない
でも僕のそばに君が居る
君のそばにも僕が居る

それでいいのだ
お日様が西から昇っても僕はそばに居るのだ

みんなありがとう

2006年09月20日

ありがとう、この社会。

昨日の台風明け仕事は本当に大変だった。
一日たって今思うのは「肩こり」のすごさ。体調を崩す前かなと思うぐらいなる凝り。首や上腕も。
原因はわかってる。仕事、日曜も祝日月曜も。
で、今日は有休。でもAM10時から美々津高齢者約40名相手に演芸会。
相方佐々木と一緒に漫才を10分ほど。で、僕がオファーした素人演歌歌手黒木輝代さん55歳。
繋がりは簡単、嫁の母親。
「岸壁の母」と「東京だよおっかさん」を歌っていただく。
漫才と歌謡ショーの二本立て。AM10時からのショーはAM11時までの予定でしたが、僕らは約30分で終わってしまう・・・。
まあ、でも、その後は高齢者参加型のカラオケ大会となり良かった良かった。

漫才は2004年に原型を考えた医者コントを。後は美々津にちなんだこと、高齢者になっている僕の父と母について少し。アドリブで佐々木と雑談ってな感じで。
義理の母は母にちなんだ2曲のため、自分のお母さんについて曲の合間に話す。
その母にとっての母は69歳のとき火事で焼けて亡くなったのです。孫を助けて自分は犠牲に。
本人にしてみれば犠牲ではなく使命なのか・・・。

義母はその母への思いを言いながら涙を流してました。それを聴いている人も涙を。
僕は何かしら息子としてできる事ができたと思えました。
そして、今まで生きてこの島を支えてきた先人達へ何かしらできたと・・・(大げさか・・・笑)。

いい機会でした。
佐々木も貴重な体験をありがとメール。お母さんも「いい経験になった」と。
主催者の美々津大学さんも「また来年」と。

僕はおそらくラグビーや演芸で今後も依頼が多くなると思う。ホント、嬉しい幸せなことです。
背負う大変さも背負うやりがいも少しずつわかってきたつもりです。
人間に頼られるって本当にいいものです。そして同時に疲れるものです。
でも、できる限りやろうって、やり抜こうって思ってます。

命には限りがあります。必死で、必ず死にます、僕も。生きているうちに「ナニカシラ」。
僕は闘います。そして休みます。すいません。

そういった疲れが今この僕の体にたまってる感じです。
で、台風明けや演芸、そして高校生との格闘、ラグビー。
すべてにテーマをもって挑んでます。もう、やるしかないのです。
僕は僕自身に言い聞かせてるのです。

「勇往邁進」できぬ、この社会、故に、
「曲折」でも前に少しずつ、
「沈思黙考」を欠かさず。
そして、「疲労困憊」の後に「本日臨時休業」。

昨日も今日も後輩のもとへ、母校へ。
行って来ました。

ありがとう、この社会。

2006年09月18日

2、携帯電話を離さない老若男女

冷蔵庫の余りモノで料理をする料理人と直ぐに食材をスーパーから買って来る料理人では中身が違うし、人間的に考えてもその後の将来、その料理人の腕が変わってくる。
中日の落合監督は今年で3年目。今年も優勝間違いなし。去年が二位。就任一年目で優勝。
彼はほとんど補強せず、巨人軍とまったく逆の考え方で正しく、中日という冷蔵庫の中身のみで対峙した。
冷蔵庫の余りももの達が奮起しないわけが無い。
「戦力は外から」という巨人軍。二軍で頑張る若い奴は腐って当然。
その代償を今原監督が尻拭いを。でも、松井が日本に戻って監督をする頃に強い巨人軍が帰ってくるかな。原さんが「ジャイアンツ愛」なら、松井は「野球に関わる人類すべてに愛」って感じが。
彼にもっともふさわしい言葉は人類愛かな・・・。
いい加減、原さんもその爽やかさも、白い歯も、捨てることを進めます。
まずは選手に苦言を、野球界に毒を。

ってな感じで「携帯を離せない」「会っては話せない」老若男女が増えている
って、どないやねん!

今日も。
大王谷運動公園で嫁と台風疲れを癒そうと歩いていたら一人の若い子が携帯メールをピコピコイジリナガラウォーキング。
帰る車から見たのは高校生がメールしながら自転車。
僕も嫁も家に置いたまま、歩きに出た。
(建設課道路維持係専用携帯電話も所持していたがこれも置いていたため、油断してPM3時の呼び出しに出れなかった~これは頂けなかった)

その携帯メールピコピコウォーキング娘が自転車運転のまま高校生メールがこの間東京羽田での奥さんと食事しながらのおっさんの携帯メールピコピコ(奥さん暇そう)が、緊急の呼び出しメール返信や家族からの休養ならまだわかるが・・・、この現代日本は今、携帯電話で廻っているといっていいのでは。
ホント、携帯にお金をかける中学高校生達。95%は請求親負担。
これでいいのか・・・。

携帯電話はナイフと一緒で使用上注意しないと人を殺すことにもなる。
出会い系サイト。
身知なぬ人と簡単に携帯で連絡を取り合い会う。
それから監禁される時も、殺される時も、一番多いのは幼い年で子供も身篭り子をおろす時では。
ホント、パッと愛、パッと会い、パッと沸かれ、パッと別れ。
「別れ」というか、「分かれ」かな。

みんな寂しいのか・・・。
皆さんはどう思いますか?
このままドコモがAuがソフトバンクが儲けるだけでいいですか・・・。

何よりうるさい、おっさんの携帯声。
何より中味の無い、いい年したおばさんの携帯メールピコピコ。
何より寂しそうな、女友達二人のマック食いながらのお互いそれぞれメール。

「家でできないのか・・・」
「二人で会っているときの今、そんなに携帯をいじる事が大事か・・・」

ハヨ、捨っしまえぇ!
その携帯、その上っ面なる人間関係を。

皆さんはこの携帯世の中、どう思いますか?

落合さん優勝おめでとう!

2006年09月17日

只今から

PM3時より台風のため、
僕ら建設課の数人は課にハリツケで緊急事態に備えます。
今日はおそらく泊まりです。

明日は山のなかの市道のパトロールです。

また明日。

2006年09月14日

1、私がもう一度ラグビーに携わった理由

1973年、8月の26日に産まれ、この夏で33歳になりました。
いろいろあったこの33年間で唯一、続けているものって言えばそう、12歳の4月から始めたラグビーフットボールです。今年で21年間です。
中学で溝渕先生に出会い、このスポーツを始めることができました。
当時、宮崎県では、3つの中学校でしかこのスポーツに携わることができませんでした。
その富島中学校も去年の夏、後輩たちが富島中学校ラグビー部初めて九州一に導いてくれました。
「大輔、ゆうすけ、柏田、川口」おめでとう、そしてありがとう。
田中さん、堀口さん、ホント苦労が報われましたね。
そうです、子供を指導するって何かを犠牲にしないとできないのです。
できるわけないのです。
あなた方はその犠牲に現代では死後となった「ロマン」を感じたのでしょう。

高校に入って直ぐに部に入る。
高校3年の夏に初めてボクはラグビーの面白さを実に感じました。
ボールをもって前に走る面白さを。
その頃から節賀恩師はボクを褒めてくれました。先生に褒められるってホントうれしかったなぁ~。
その秋の大王谷運動公園での練習試合に初めてボクは親を呼びました。
「今度の日曜、試合があるから、来てみらんヶ?」と。
来てくれた母親は「あんたにはじめて誘われたわ」って言ってました。
で、観戦後、「誘うだけあるわ」って息子の活躍を喜んでくれてました。
その練習試合。ボクは節賀監督に試合後のエンジンみなの前で
「慎吾のように、ラグビーが楽しくてしょうがないっていう感じでやるといい」
と言ってくれたのを今でもボクは鮮明に覚えています。
先生ありがとう。

そうです、怒る大人も大事だし、「いいものは良い!」って言える大人も必要なのです。
子供の頃はある意味、親に先生に褒められるために生きているのではないでしょうか・・。
褒めることってホント重要です。

高校を出て、南日本ハム、浪人一年(体育大学受験失敗)、フリーター(八幡、UMK、カラオケボックス、飲み屋、ガソリンスタンド、測量補助、プール監視員・・)、そして24歳の年からボクは市役所に入りました。親父の「市役所の現業受けてみろ」って言葉で。
そうです、いつもきっかけは親であり、先生なのです。
僕らは今一度、子供の模範である事を自覚しなくては。

そして、今年で市役所勤務10年目です。
環境整備課に8年。で、今建設課に2年目、勝負の年です。
しっかり有給をとりながら諦めずに頑張ります。
そして、しっかり休みます。ありがとう、そしてご迷惑かけてます。

浪人中もアルバイト生活の時も、役所に入ってもずっとずっと続けてきたラグビー、楕円のスポーツ格闘技。ボクはこのラグビーに育てられたと言ってもいいでしょう。
ラグビーをやって、やってきて、やり続けてきてホント良かったです。

もちろん途中辞めたい時、止めたい時、病めた(い)時ありました、山ほど。
嫌気がさして、この間、「ボクがラグビーを辞めた訳」をアップしたし・・(笑)・・(謝)。
何より社会人クラブ日光の時の5年間の主将時代は苦労しました。
「何で俺だけか!」「口ばかりのコノヤロー」「お前に言われる筋合いは無い」・・・。
ホント生意気にも思いました。僕自身は僕自身の哀しみに実直で、故に「自分だけが・・・」って感じでいつも石ころを蹴飛ばしてたようです。
そう、所詮、人間、トドノツマリ、自分自身しか信じれないのです。
ボクの、あなたの、「人生」、闘うしかないのです、頑張ります。

最近いじけ気味のメール配信、ネットアップ、ご迷惑かけてます。
またこの人生をリセットして再スタートする所存です。
何よりまずは母校日向高校に架けてみます。

これまで生きてきた経験を、受けてきた苦労を、大空に赤面する後悔を、青の時嬉しかった衝動・・・すべてを彼らに託したいと。
そう思ってます、多少大げさですが。
次期首相が誰であれ、安部さんであれ、ボクには所詮関係ない。
僕自身はボク自身の半径5m、直径にして10mを熱くしてゆく、それに架けてみます。

僕はこう思うのです。
日向高校でボクの息子達が楕円を追う限り、ボクはこのスポーツを続けられると。
嫌になっても戻れる「ふるさと」があるように。
ありがとう。後輩たち。ホント、君らが居てこその僕である。
ありがとうありがとうありがとう。

ありがとう。

最近やっと戻れました。

待たせたな・・・

なんちゃって・・。

2006年09月13日

ブレンからの助言。

最近のリンダは陰な文章が多いと思う。だから陽のテーマがいいのではと思う。
ネガティブな俺としては陰のリンダが好きだけどね。なんか人間くささがあるからね。

私の読みたいリンダテーマ

1、私がもう一度ラグビーに携わった理由

2、携帯電話を離さない老若男女

3、この時代に絆がテーマにされるのは

4、減らない自殺者の数

5、俺のBOXY

執筆意欲をそそるテーマがあればよろしく。

2006年09月10日

脳に汗をかけ。

オシム監督は
「脳の汗をかけ」と言っているそうだ。

さすが、しっかりとした哲学を持っている人である。
ホント楽しみです。

2006年09月09日

古きを・・

あの公衆電話通るたび
思い出すよ
君と語ったあの夜を
あなたと話すにはまずは
「こんばんわ 林田です OOOさん 居ますか?」

あなたの親がまずは門番に
携帯の無い時代
僕らは何かしら恥じらいがあったね
ハードルがあったね

今何をしているの
今誰を愛しているの

秋の空と僕の心
常に揺れ動き
常にあなたにトラワレテ

いっそボクを
いっそのことボクを

どうしても
あ~どうしても

公衆電話の無い時代
今の時代
僕らは「古い」にあの時代があるのです
生きるは実は過去
未来なんてない
昨日に 昨日たちにとらわれ生きるのです

いっそボクを
いっそのことボクを
あなたと

公衆電話のある時代
僕らはそこにいたのです

2006年09月08日

援護射撃。

『ごもっとも』

私の人生の柱『勇気と想像力』!!
国だとかポストなんたらなんて、漠然として「集団催眠」みたいなもの、みんなで安心したいだけ!そんなものはあてにするな!まずは自分に出来る事。自分が何をするか!!まさに「林田さん」同様、自分が先頭にたって何をするか!!
皆様、私もふくめ『勇気』育てよう。

科学の進歩で『究極の怠け者』を目差す人類。
先日「子供たちの表現力の無さに悩んでいます・・」と某教師に相談を受け、現代の子供たちの「病み」を痛感。怒りたくてもケンカの仕方を知らない。だから「刺す」。笑いたくても回りを気にし笑えない。ストレスの矛先は何処へ。・・幕末に来航したアメリカ人が「日本の子供たちの笑顔が素晴らしく忘れられない」と後に語ったそうな・・。ホントなぜ日本は変わってしまったのだろう。テレビ、ゲーム、ネット、塾。・・『想像力』さえあれば、遊びは無限なのに・・。
自分が自分自身に出来る事。共感、前へ進みます。
柱大黒。

疲労ですが。

エネルギー回復とともにそろそろです。
いやいや、普通に熱く生きてますが。

でも、ホントそろそろです。
秋に今、また「筋」にこだわり生きてゆきます。

2006年09月07日

反対尋問

林田さん。そんなに思いが強いのなら政治家になったらどうですか?
こんなせまいメールの世界で愚痴をこぼしても何もかわりませんよ。
頑張れて言ってほしくないならメールするのやめたらどうですか?
僕には頑張れて言って欲しいように見えますが。
アフター5があるのは社会のおかげではないですか?
まずは政治家になって政治家の給料を下げる事をしてほしいですね。
政治家の給料が一般的サラリーマンの給料以下になれば本当に政治家になりたい人しかならなくなるんじゃないかなぁ。僕にはできないし、自分の子供にメッと怒る事、挨拶しても挨拶しないガキに説教するくらいしかできないから他人事ですけど、誰かにメッセージを発するという事は率先垂範で自分がやらなきゃ誰もついてきませんよ。
洞察力というフレーズに共感を覚えます。
頑張っていれば必ず誰かがみている。
それはないよなぁという意味合いで僕は捉えましたが、生
意気なガキが頑張って結果を残しても評価が対等なわけがなく、林田さんがOOは生意気だなと思ってるようにお上は思ってるわけで、対抗するにはシノゴノ言わずに結果を出し続けるしかないわけで、その負けてしまいそうな葛藤を口に出してしまったら自分との戦い,つまりは俺は定年になっても生意気なOOだよ,でもてめーらよりかはずっと優秀だよと言うための戦いはノーサイドなわけで、そもそも北の国からを見たからこんなメールを送ったわけではなく……という風に男の愚痴はみっともないですね。
嫁さんは喜びますが(^o^)

小倉ガ浜のあなたは熱かったなぁ。
酔っ払っててすいません。
最近こんなメールばかりだなぁと思いまして,腹が立ったら一括送信から僕のメルアド消して下さい。
生意気ですいません。

2006年09月06日

この日記は3日以内に消去します。

それにしても・・・。
ホントこの国はどうかしているよ。
この国っていうが、僕は国って意味がわからない。
実体がない。
愛国心って一体ナァ~ニ?
って思ってしまう。

政治家やPTAたちが、「国を街を地域を愛している」っていうなら、
「まずは自分の子供を叱ってみろ!」って言いたいよ。
それこそが愛情だよ・・・。叱らない君は薄情だよ。
今の時代、本当に闘ってホントに優しい人っていうのは、病んでるよ。
君の知らないところで泣いてるよ。
君の想像力は君の洞察力は一体いつ稼働するのか・・・。

組織を愛せ、組合を愛せって言うが、そこのトップは、号令をかける立場のやから達は、まずは自分の「たが」を絞めなおせ。

社会的使命感の無さが今のこの国を造っている。
この国では、社会的使命感が薄ければ薄いほど、トップになっているのでは・・。

社会的弱者って本当は誰を指すの?

利権は必ず腐敗する。

まずは親だ。
君の子供はまずは君が叱れ、馬鹿ヤロ~。

投票に行け。
まずは自分で考えて人に入れろ。
脱、組織票。

少年法・・・。
幼い子供が罪を犯しても罪に問われない・・・。
なぜなら、彼らはまだ子供だから・・・。

ならば、まずはその親が問われるべきだ。
少年は問われない代わりに、その親がまずはまさに代理で社会に問われなきゃ・・。
被害者の家族は救われない・・・。

親のムセキニン躾が問われるのです。
社会じゃない、国でもない、まずはあなただ、ボクだ。
あなた自身、僕自身。

はっきり言う、今夜は。
ボクに「がんばれ」って言わないでくれ。
嫌だ、他力本願は・・・。

ボクは今夜も嫁と涙ながらに、今日という日を、飯を食いながら振り返り、風呂に入って明日に備える。
ボクは僕なりの使命感で頑張っているんだから。
そして、明日は晴れたら母校にアフター5、行って来ます。

「花園を目指すことを通じて、君自身の『志』を育んでほしい」。
叱咤し、激励しに行って来ます。
僕は負けない。
僕自身の闘いです。

日吉さん、バレー、ラグビーを通じて、青少年育成、頑張ろう。

「この社会、クソ食らえ」。

2006年09月03日

四季折々生命たち。

だいぶ涼しくなりまして・・・。
ホントいい季節がもうしばらくしたらやってきますよ。
ボクは夏あっての秋が晩秋が大好きです。
寒いぐらいの秋が・・・。
大好きだ。「晩秋」さえあれば飯何杯でもいけるよ。

でも、まだ暑さが残るよ。
道路に蝉が死んでいました。
アリがたかり死骸を己の巣へ・・・。

生命が生命を育てる。
あ~ぁ、人生・・・
あ~ぁ、虫生・・・
はかなくてそして神秘的。

又この秋も生命が宿る。
鈴虫・・赤とんぼ・・。
又明日。

「公務員は良い」なんて言わないで。

うん、うん・・・
わかる、わかるんだ
でもでも気持ちの整理がつくまで待っててくれ
誰しも、みんな、なんて言わないで
ボクが今どうなのか?
重要なのは僕自身

地球が温暖化でも
青少年がタバコを吸っても
今夜は一人にさせてくれ
今行く 行くから
待っててね
いつか必ず起き上がるから
今はそっと これからずっと

軽い慰めはしないで
皮肉は止めて
違うほうを観ながら慰めないで
励ましという皮肉はよして

いっそ
ボクを無視して ぶん殴って
いい加減 
自分に嫌気がさして
すべてを
人のせいにして
それでも
人が好きなんです

ボクもあなたも選択できる
生き方を
まずはあなたががんばって
ボクは未だに逃避中

2006年09月01日

親友来る。

佐々木がボクの家に、嫁の居ない僕一人の家に見舞い?に夜着てくれました。
お互い、話す。
互いの近況等。
最後に「そろそろ、秋が来る」と。
「この一番いい季節を林田はどう生きる?残り4ヶ月を何をテーマに・・。」
と聞いてくる。
約70分マッサージをしてもらいながら話す。
カーテンを開けているのでだいぶ涼しい、そして外から見える。
大の男がマッサージを・・。
間違いなく、マラソン有森旦那の友人二人と思われただろう・・。

そしてボクは答える。
「まずは痩せるわ。今体重が93㌔である。まずは9月中に目指す、87キロ。
で、ラグビー花園予選11月にあるんでそれに打ち込む。
練習になるべく行く。
予選前の練習でボクは涙を流しそう・・・。
総体負けて柏田キャプテンを叱咤してから、あれから行きだして、今では部員37名全部わかるよ、名前が。約3ヶ月は行っている。
今やボクの生活である、母校に行くことが。
楽しくて、面白くて、そして生徒達がかわいくてショウガナイ・・。
マジでボクは有森旦那になりそう・・。
練習に行く、それもこの秋のテーマです」。

佐々木は「泣け、男が泣いてはいかんなんてありえない」と。
で、「痩せろ!」と。

ありがとう、相方。
ありがとう、親友。
ありがとう、マッサージ師~もっと強めに・・・。

だいぶ良くなってきました。
そろそろ社会復帰できそうです。
ありがとう。

人に傷つけられ、人に癒される。

プロラガーマン内山くん、近況情報。

お久しぶりです。

3月末にサニックスを退部してから、地元・宮崎でカラダを動かしたり、
8月は母校・中央大学の菅平合宿に参加したりしていましたが、
この度、ワールドファイティングに入部することになりました。

急なことで僕自身もチームもドタバタで話が進んだといった感じですが、
今シーズンの登録には間に合うようです。
サニックス同様、契約選手としてやっていくので1年1年を大事に
プロ意識をもって活動して行こうと思っています。
また、色々な機会でお会いすると思いますので、
その時にはまたご挨拶させて頂きたいと思います。

メールにはなりましたが、取り急ぎご連絡まで。

ウチヤマ。

和也さん、ありがとう。

その生き方に多少疲れを感じてるようですね。
大丈夫。バテただけ。
あなたはまた立ち上がる。
正しいから。
自分を否定しないから。
自分が好きだから。
例えたったひとりでも俺はそう思う。

しばし休みました。

松井、焦らず。
根気を持って、「今期はもう出れなくとも仕方ない」ってぐらいの感じで。
さとしも、アベも、孝太くんも・・・。
いいんだ、ボクが今の君達の苦労をわかってます。大丈夫。
時間がすべてを解決する。
プロレスラーの長州力は、
『レスラーに全治は無い。「全治一生」しかないと』。
死んで初めて痛みが消える・・・うんうん、一流は違うな。長州小力にまねされるだけあるよ。

大丈夫、止まない雨は無い。
オウケイ、世界は広い、どっかで君を受け入れる港があるさ。
イッツ、オウケイ。

この間の東京旅行でボクは外国人二人の友と会いました。
豪州とバングラデシュ。イギリス系とインド系に。
ボクは言わせてもらえば、勝手に言うが、言うなって言ってもいうが、
「国際人」ですよぉ~!

外で外国で知り合ったのではなく、ここ日本で。
外国が学びたいなら親に金を出して留学するより、ジャイカで海外協力隊より今ここ、日本に来ている海外人と交流を図るのですよ。
その二人の外国人は今では彼らが僕へ電話してきてくれて雑談やお互いの相談をします。
特にクレイグとは親友です。

バングラデシュ人はこれからです。
彼は23歳日本語を学ぶためにジャポンに。4月に来てかなり今、ホームシックで日本人との交流で苦労しているみたいです。月曜夜に電話がありました。
でも、焦るな、大丈夫。
またボクが東京に君に会いに行くぞ!
それまでお互いファイトです。
この八百長だらけの世の中、闘いだ!

思いつくままに・・・。