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2006年11月29日

日々だな。

宮崎県知事は時間の問題。
捕まるか否か?ではなく、いつ捕まるか?早いか遅いか?
いつなのか?である。

人間やはり因果応報。
行った悪事はいつか必ず、その報いが来る。
結果は日々の結晶、日々こそが大切。
わかるか、あなただ、お前だよ。

僕自身もそう。今から二年前の2005年は苦悩の日々で不眠症にも。
それまでの自分を振り返り、苦しく生きる毎日でした。

でも、そんな時、寿やキミ子、そして、嫁(当時は恋人)、佐々木や雅樹に支えられ今があるのです。
ホントみなさんありがとう。
とんねるずの気分です、「みなさんのお陰です」。

本当の意味で、そう、心の底から思える「生活」に「性格」にならなければいけない。
僕の友人がそう思えず、天狗になっているなら、僕自身がその鼻を折ってやる。
その代わり、感謝して欲しい。
今はわからなくも、時間をかけて自問して欲しい。

軽信が一番たち悪い。
なぜ、知事の取り巻きは言えなかった?
知事は正に友人や側近が悪すぎた。というか、いなかったのか?
何より、元より、「立ち方」に問題があった。

黒に見える黒で終わってしまいそう。
白に見える黒がもっとも嫌ですが。
僕は黒に見えても白でありたい。

がんばります。
友人ありがとう。

そして、知事よ、潔く自白を。お願いします。
僕も、「正直に」がんばっていきます。

2006年11月28日

また日は昇る。

月って喜怒哀楽で言ったら、「哀」だよな・・・。
ホント月ってナンカ、哀しさがあるよ・・・。
荒城の月も哀しい感じの唄で。

太陽は「喜」だな、間違いなく人々に喜びを与えてくれる。
文句なしの喜びを。

では、「怒」は何かな・・・。
雨でやはり雷雲ってかな。まぁ、嵐って言えばそのままですが・・・。
怒りはすべてに喝を入れてくれる。
時に怒りは怒っているほうが泣いているようにも見える。

「楽」は海かな・・・。
喜びと楽しみがいとこの関係ならば、太陽と海はワンセット。
夏の海は「楽」で、冬の海は「怒」にも見える。
福井に行ったときの冬の海はホント冷たく怒っているように見えた。

まぁ、そんな感じでおやすみなさい。
君が好きです。また明日。

2006年11月26日

感想児玉、いつもありがとう。

子供のいじめについて自分の経験もふまえながら考察したみたいですね。読み終えて思ったのは、陽のリンダだなと思った。いままで陰のいじめリンダ論だったのでさっぱり感があった。
それを意識してやったのなら読者の読み心をつかんでいるな。

集団でやるいじめは本当に悪だと思う。人が集団になるのは強大な敵と戦うためであって、弱い者をいじめるためではないと思う。

テレビって。

もういいよ、いい加減に普通にテレビを。
ウェンツが絶叫しようが、モー娘。がポッキ-の大きいのをガンガン叩いてもどうでもいい。
彼らは柳本監督が昔、自殺を考えたことがあるなんて知るはずがない。
ただただ、応援の仕事をこなす、つんくが言うから、事務所が言うから。

でも、さぁ、これでホント、テレビっていいのかな・・・。
めっきり、テレビを見る時間が少なくなった最近、僕自身、嫁もそうだ、夫婦して見なくなったよ。
テレビマンは危機感あるのか?
今考えて見れば昔の方が面白かったよ。
下手なCGを使い出してテレビは変わってきたように思うな・・・。

「ドリフ」に叫ぶ少年たちの熱気。
PTAと闘う、「みなさんのお陰です」。
東京に憧れた「東京ラブストーリー」。
「久米」さんの毒舌。

みんな、熱かったなぁ~。
みんな熱気を持って、仕事をして家庭を顧みず・・・。
その子供達が今はテレビマンなのか・・・。
では、その、いかりやさんや久米さんの子供達世代が今のテレビを作っている。
仕事は良かったが、家庭は最悪・・・。
そう考えると、いろいろだな・・・。

また。
とりあえず、言いたいは、
「スマップやCGに頼らず、熱いテレビを」。
「味わい深さを、缶コーヒーにないタリーズココアの深さみたいなのを」。

でも。
今はネットや読書に時間を使っているから、まぁ、どうでもいいかな・・・。

でも、兄貴が・・・。

2006年11月25日

いじめを知っている君へ。

責任を認めない教育委員会。
生徒のいじめに加担する先生。
自分の子供を信じれない親。

僕自身、大人として言える資格は無いが、言わせてもらう。
教室で起こっている「いじめ」、旧友がいじめられている。
「どうか、どうか、助けて欲しい」。

僕は「いじめられている君へ」、言えるは「誰かに、僕でもいい、相談して欲しい」。
そして、「大人になっても、そのいじめっ子を忘れないで欲しい」。

「いじめている子」へ。
君にとってのその悪ふざけが相手にとってはどう伝わっているかをもう一度考えて。
そして、「もし、文句があるなら一対一で」。
君は汚いぞ。集団で、なんて。みんなで、なんて。

そして、何より言いたい相手は。
「いじめを知っていて知らないふりをする君へ、君たちへ」。
いじめを助けるにはリスクが生じる。
その行動によって君自身がいじめられることになるかもしれない。
でも、勇気を持って。
助けるのだ。
みんなの前でできないなら、そっと声をかけてやって。
そのいじめられている友人がトイレに行ったとき、そっと一緒に小便をする感じで「元気?」でも「高校どこ受験する?」でも、なんでもいい。
君のその一言でどれだけ救われるか・・・。

僕も中学の頃、いじめられた。
忘れない、今でも思い出す。
その、憎っくきアホが、この日向市であるところで働いている。
最近、離婚したらしい。
心の底から、
「ザマァ~ミロ」だ。

その男を見るたび、思い出し、つらいし、今すぐにでも殴りかかりに行ってやりたい。

でも、何よりそいつが怖い・・・。
でも、今なら、一対一なら絶対に負けない。
でも、でも、いつまでも、こうやって、思っていても・・・。

  ・・・・。

受けた憎しみ、忘れられない嫌な記憶はなかなか解決できない。
でも、時間が忘れ去らせなくとも、整理はしてくれる。
「あのアホも、僕を殴る前に、あるグループから殴られてたみたい・・・」。
いやいや、だからと言って僕を殴っていいのか・・・いろいろ考える日々です。
今でも、今でも、です。

その時、僕の惨めな姿を先生は知っていたし、何もしなかったし。
その時、いじめはしなくても、僕を見下し白い目で見た奴、今でも忘れない。
今、そいつはパチンコと酒で顔色悪いよ、今でも口ばっかりです。

でも、僕も小学校の頃、誰かを茶化してました。
そのしっぺ返しが中学の頃、降って来たのかって、今は少し、そう思うよ。

「いじめる」経験もあれば、「いじめられる」経験もある。
そんな時、思うは「いじめを見てる時」が重要だと。

君のその一言にかかっている。
親はもっと言うべき。
「いじめられいる友達が居れば、助けろ」と。
昔は、親がもっと言っていた気がする。

僕も今、いろいろ考えます。
考えています。
結局は、自分自身がどうするか?である。
困っている人が目の前に居た時に。

年末の僕の恒例行事。

365日の中、一日である。
たった一日である。
そして学ぶべきことが多い一日でもある。

1/365日で何ができるか?でもある。
僕は年末、僕自身にとっての恒例行事、鐘ヶ浜学園に餅つきに、サッカーに、大縄に行く。

ボランテァとしてでもなく、福祉でもなく、組合活動でもなく、僕にとってのあの一日は僕自身の「そのとき」を「ぶつけるとき」・・・そんな感じの日。

その施設に居る子供達のためだけでもなく、僕のためだけでもない。

鐘ヶ浜学園は児童擁護施設。
いろいろなる事情で親元で育てられない児童たちをあずかる社会福祉施設。
社会福祉法人鐘ヶ浜学園が正式なる名前。

感想~毎度お馴染み児玉。

わかるかい?僕が言いたいことは。
君がこの国の子供に真剣に向き合ってない表れですよ、わかるだろう?

そうだな。言われてみるとそうだ。
日本の子供にも目に輝きはある。それを見たことがあるか、見ようとしたかが重要なんだなあ。
海外青年協力隊を見る黒人の子供たちに目の輝きがあることと、地域密着型大道芸人を見る子供の目の輝きは同じだと思う。要は接する大人の側の問題なんだよな。

要望
子供のいじめ自殺に関するリンダ特集はまだか!

2006年11月20日

感想です。

最近のブログの感想。

1.高校3年生、受験真っ只中。
なかなかメール返せなくてごめんなさいm(__`)m
でも頂いたメールは全て読んでますよ(^-^)v
最近、いじめのニュースが多いですね(^_^;)
私はいじめる子供達は夢中になれるものがないからだと思うんですよね
夢中になれるものがあったら、他に目がいかなくなるだろうって。ある意味その子達もかわいそうだなあって(^_^;)
あと、受けとり方もですよね?相手がそれが嫌だと思ったらいじめになるし……だからと言って冗談が一つも言えない、通じないのも寂しい気が……難しい(@_@)

なあ~んてな事をぼんやり思いながら忙しい毎日を過ごしています。
ラグビー部に戻ってくれたんですね☆
次の試合の新人戦、勝たせてあげて下さいo(^-^)o
多分部員は林田さんが必要だろうから(≧∀≦)ノ

2.2児の母、同級生。
苦しんでる人にかける言葉って ホント難しいよね…。
あたしも ずっと苦しんだ。そして今も…。
色んな言葉をかけてもらって でも、どの言葉も胸に響いてこなくて又辛くなったり。
でも あたしは同じ職場の男の子の たった一言の言葉で少し気持ちが救われました。
『OOさんはOOさんやろ!?』
そうか あたしはあたしでいいんだ!って初めて気がついた。
人はやっぱり人として認めてもらいたい。
自分の存在を確認したい。
大切だって思われたい!
だから、あたしも もっと強くなって周りのみんなを大切にしたい。

2006年11月19日

発展途上国と言われる国に日本の若者が行き、技術援助をする。
ODAで日本の税金もそういった国々も。
日本人は給食を援助して世界のマラソンランナーを創っていると言う。

この間の東京旅行で散歩がてら歩いていると、独立行政法人ジャイカ事務局に入る。
目を輝かせた黒人の子供達に囲まれた日本人青年。海外青年協力隊もここが元締め。
隊員は言う。
「あの貧しい国の子供達の笑顔、目の輝き。
豊かな、この日本の子供にはないです・・・」。

アホか、ホント、バカヤローだ。
日本での君自身に、目の輝きがないから、君の近くにいる子供は輝いていないんだ。
その黒人の子供に目の輝きがあり、日本の子供にないなんて、誰が決めるんだ。
ならば、今直ぐ、君が連れて来い、今すぐ、日向市に、その目の輝きの無い子供を。
「僕が喝を入れてやるよ、君に。
その目の輝きが無いって言う子供と一緒に、君自身に喝を入れてやるよ」。

わかるかい?僕が言いたいことは。
君がこの国の子供に真剣に向き合ってない表れですよ、わかるだろう?

海外に行って協力するのを僕、否定はしないから、この国の子供に笑顔がない、なんて言わないで。目がどうこうをも、言わないで。

だったら、その輝きの無い日本のゲーム浸けの子供の目を輝かせてよ、腹から笑わしてやってよ。

今月の「広報ひゅうが」の表紙を見てよ。
あの笑顔は何人もの大人たちがこの笑顔に関わっている証。
海外の黒人の子供の笑顔もその村の大人が造っているのだ。

今からでも遅くない。
この国の子供達はひどく疲れ、ひどく不感症になっている。
大人たちの、無関心や無責任にかなり傷ついている。

プレステ「3」に負けるな、お父さん。
コンビニ弁当に任せるな、お母さん。

そして。
我々大人ももっとこのオラが村の子供達に関わろう、関わっていこう。
子供の本当の友達は実は大人です。

子供いじめ自殺を何とかしなくては・・・。
学校現場の子供は待ったなしだ。

八百長タウンミィーティング、談合安藤知事・・・。
もう、辞めよう、政治に期待するのは。
中央依存は辞めた。この村だ、この目の前に居る子供だ。
海外に求めるのも少し、辞めよう。
一時はこの国に、この村にこだわろうよ。

また僕は日向高校ラグビー部に戻ります。
ジャイカの青年達よ、日向に来い、研修に。
かなりな旅費が浮くよ・・・。

最後に。自慢を。
日向高校、阿部君の僕へのメール。
『あなたを見るとやる気に満ちるんです!!
うまく言えません』
涙が出るよ。ありがとう、阿部ちゃん。

僕の心情。

「後を絶たない自殺、せっかく授かった命を自らで絶つなんて・・・」
「代理出産、誰がお母さんなのか、倫理的にいいのか・・・」

もう、いい加減にしてよ。
君は裁判官かい?
法的にどうかより、命について奇麗事を言うより、まずは自分自身ならどうするか?を訴えてよ。
もし、それが間違っていたら謝ればいいじゃない。

代理出産について、僕は、その当時者がそのまわりが生む覚悟があるなら、もう、それでいいと思う。他人がとやかく言う問題ではないよ。
だって、その当事者達は「とやかく」話し、「いろいろ」話し、そういう決断をしたのだから。
それでも、我が子が欲しいんだから。

「それを合法化しているアメリカでは商売にしているものもいる」。
悪さする奴は法に関係なく、どこでも法的に駄目でも悪さをするよ。
合法化することにより救われたケースもあるよ。

僕は代理出産、賛成です。
っていうか、僕が賛成でも反対でもどうでもいい。
大変なる苦悩の元、赤子を産み落としたその家族や医師に僕の○か×か、なんて。

「お前は男だ!」高田、そして、向井さん。その事について尊敬するし、もう、こういうニーズがあるなら、これからも増えていくであろうし、これまでもあっただろうし・・・、
「日本でもオウケイ」にしていけばって、僕は思います。
高田総長は奥さんにこそ、「お前は男だ!」って言うのです。(笑)。

「人間がその出来事に出会った時の善悪基準」より
「人間がその出来事に出会った時の心の中」だと。
「多数が」ではなく、「あなたが」、「僕が」、どういう思いになるか?である。

「倫理」を盾に、世を語る人達・・・。
倫理的より、まずは心情だと思います。
では、倫理ってなんですか?



「死ぬ思いがあれば、何でもできるのに・・・」。
自殺した人への言葉、もっとも多いのはこれでは。
しかし、自殺する人は選択したのだ。
僕のここで言う自殺は大人の自殺です。
《※子供のいじめ自殺はまた後日、特集でやります。》

うつ病は自殺と隣り合わせであり、ここ数年で僕の友人知人も数人、亡くなってます。
今、年間、3万人が自殺で亡くなっている。交通事故死亡者は7000人弱。
要するに、2004年と2005年で日向市の人が皆、死んでいるのです。
小児ガンで残念無念で命を落とす子供もいる。
生きたいって叫びながら死んでゆく世界の戦闘地域の軍人さん。

命ってなんだろう・・・。
生きるってどうしてだろう・・・。

自殺してゆく友人知人たち。
また明日から仕事をするより再チャレンジするより、死んだほうが楽であり、死ぬ願望が強くてそういう自殺行為をしないと絶えられない・・・。
ある範疇からの孤立なら、いっそのことそのカテゴリーから抜け出せばいい。
今ある仕事場が嫌ならば、辞めればいい。
命さえあれば、またいつか。お金はどうしようか・・・。
でも、簡単には言えないが、「何とかなるさ、命さえ命さえあれば・・・」。

自殺してゆく、いい大人達よ。
子供や妻を残して、親にも許可を得ず、死んでゆくいい大人達よ。
「どうか、どうか、残された人のことを考えてよ・・・。
あなたと関わった日々が、残された人にとっては『所詮何もできなかったんだ・・・・』になるんだよ。
わかっているのか、わかっているのかい・・・。
ホント、命を軽く見ないで、あなたが自殺をして己の命を絶つなら、あなたはあなたの妻や子供や親の命を軽く見てることになるんです・・・。
ホント、すいません、あなたの苦衷も知らず、生意気なことを言って・・・。
でも、でも・・・。

今となっては心よりご冥福を祈ります」。

周りは何ができるだろう・・・。
代理出産で苦労して生んだ人に倫理の善悪で片付けられない。
自殺した友人をもう、今となっては叱ることも、話すことすらもできない。
やはり、命があるうちに命あるものが何かしら・・・。

今あなたの職場で、地域で、学校で、苦手な奴、そして嫌いな人、合わない人・・・
そういった人にどう向き合うかである。
やはり必要あらば、喧嘩するほうがいいし、議論するほうがいい。
言い合ったほうがいい。
苦手な部下なら説教するほうが無視よりはるかにいい、うんといいよ。
後輩を怒ってくれ、彼の話を聞いてやってくれ、そして
「俺だって困難、大変の中、やってるんだぞ!」
って、言って欲しい。できるなら一対一で、体育館裏で。

うつ病の人に「がんばれ」って言ってはいけない。
そう言われているが、僕は「いつか良くなったら、がんばれよ」って言いたい。
でも、休んでいても何も解決できんぞとも言いたい。
言いすぎかな・・・。

でも、「俺はもう駄目だ、みんなに迷惑をかけている」って思って死んでゆく友人達にがんばらんでいい、君はそのままでいいって言って何か解決するのだろうか・・・。

考え続けるしかないんだ・・・。
ホント、僕らは何もできないんだ。
でも、何かしらを任じて、何かしらを信じて。

子供のいじめ自殺はまた後日、書きます。送ります。
皆さん、一緒に考えましょう。

言えるのは、いじめられている友達、子供がいたら、助けるのだ、それしかない。
傍観者や無関心の大人を何とかするのが先だ。

いじめで自殺したいと思っている子供達。
死ぬ前に僕に電話して欲しい。
090-1976-6282です。

11月19日PM3時32分。
思うままに考えながら、僕なりに書きました。
読んでくれてありがとうございます。

Qちゃん、またがんばろう。
僕らは同世代。そして同時代に生きている。
残念会を八幡で明日、どうですか・・・。

2006年11月18日

お願いします。

今ある悩みは寂しさは、いつか時が解決します。
でも、解決できた頃にはまた新しい悩みや切なさがあるでしょう。
おそらく、人間は大した成長はしないんだ。
少し前に出て。嫌なことがあって、また悩んで。でも、それで少しだけ成長して。でも、また忘れて・・・。
繰り返し、繰り返しを繰り返し。

おやすみって3秒で寝れる夜もあれば、朝まで長い長い夜もある。
寂しさって、一人って、やはり、つらいよ。
いま、僕が思う、あなたがすべきは受け売りのボランテアでもなく、安っぽい社会批判でもない。

すべきは、心通える、ココロカヨエル、人生のパートナーを探すことだと思うのです。
恋人、婚を結ぶべく相手、友人、親友・・・
選択するのです。
本当にココロカヨエル人を己の行動で探すのです。

僕が一番言いたいは、「他者との出会い」でしか人生は変われない、落ち着けない。

そういう角度で気ままに仕事を。
そういう視点で人付き合いを。

今日は雨。
行くはずだった、久々の日向高校ラグビー部も中止。
家で嫁と。嫁は「東京タワー」を読んでいる。この間の東京で買った本。
僕はミスチル新曲を聞き、これからを、そして最近を考えてます。
太陽も休んでいるこの昼間、ゆっくりと時間は流れてます。

雨もたまにいいな。
「しとしと」が実に美味しい。

冬が来た。

後、何回、僕はあの暑い夏を過ごすのか・・・。

人生って、ホント長い。
人生って、なんと言いましても、ナゴウございます。

これからも、僕をよろしくお願いします。
僕のメールを読んでください。
ホームページを読んでください。
お願いします。

2006年11月17日

11月17日(金)

結局は何もできないのだ。
その人が、その人自身が「また向かってゆこう」って心から芯から心底思わないと。
でも、でも、「僕ら」にも・・、いや、まずは「僕」にも、何かしら・・・。
友人のご冥福を祈る。天国があるならば、健闘を祈る。
そして、魂があるなら、言いたい。
『残されたものの気持ちを、どうか・・どうか・・考えてみてよ』。

人は言葉によって傷つく。
されど、言葉によって救われる。

時には心ない人に唾を吐かれ、時には心温まる人に出会う。
人に傷つけられて人に助けられる。

結局はその人だけど、「何かしら」を信じて、友人の命を重く受け止めたいと思います。


今朝は野菜ジュースとチーズを朝飯に。
仕事場にはAM8時10分ごろ就く。
少し早めな時間に行く。いつもだいたい、この時間だ。

AM8時30分からは、いつものように電話は鳴り出し、来客も。
僕はいつも少しだけ早めに職場に行き、「戦闘」に備える。
コーヒーを飲んだり、係長と談話したり、書類整理の整理をしたり・・・。

そんな時、思うんだ。
「悪くない、健康で仕事ができるって・・・」。
いやいや、感謝しないと・・・。
多少のストレスが「多」のときも「少」のときも。いずれも職場でストレス「無」なんて、最近では、もう期待しないようにした。
肩凝りを整体で緩和し、目の疲れをほんのりクールな目薬で癒し、「だましだまし」勤めて行く。

昭和の名プロレスラー長州力が言う。
「キレテナイヨ」ではなく、
「闘うレスラーに全治なんてない、あるなら全治一生だ」と。

そう、僕ら労働者にもそれが言えるのでは。
つらいけど、しんどいけど、悪いことばかりでもない。
時に、この役所に入ってよかったって思うことも、ある、あるんだ。

午前中は書類、外に出て側溝蓋換え(結構重い、汗が出たよ)、区長来所に備え役所にAM10時半には戻る。
で、区長来る。
要望を受け付ける。
「なるべく早めに」
「(苦笑で)ハイ。できる限り、がんばります」。

「やるぞぉ~!」ではなく、「今ある僕の力で」と、ささやくように・・・。
僕は組織の兵隊。でも、だからこそ、奥歯の強さも知ってます。
噛み締めるのです。
でも、満身創痍33歳、今は銀歯を入れてます・・・。(笑)。

嫁弁当昼飯を食って、後輩松岡を呼び出し、キャッチボールを。
役所前の芝生で。
「はぁ・・・、だりぃ~」って言っていた松岡も20分、大空の元でのそれに、20分後には
「また、やりましょう!」って。

彼はカメレオンなる性格です。
ネェさん、事件です。

午後は先輩技師と外回り、現場打ち合わせ現場確認。
戻ってPM4時半。
書類、電話、連絡方・・・。

終わって家に戻って飯。
さんま、すり大根、ケーキ等を一人で、もぐもぐ黙々と。
嫁は飲み方。異動で大変な嫁を、旧職場の人たちで飲み方をするらしい。
何かにつけて呑みたいらしい。(笑)。

話し相手のいない一人の借家は広く感じる。
夫婦ってそんな感じなんだろう。

これから風呂にでも行ってみるか・・・。
今週はいろいろだった。

今週は、何といっても友人ダテケンの涙に尽きる。
ケンジ、がんばろうな。
また明日。

しかし、寒い・・・。
冬が来てるよ、ホラ、そこに・・・。

2006年11月16日

深遠に。

冬到来である。
冬が来た、である。

しかし、寒い・・・。
涼しいをとっくに通り過ぎたよ。
寒い、寒い・・・。
朝目覚めて寒さを感じて残り少ない睡眠時間なのに毛布をしっかり直す・・・。
あ~ぁ、冬が来た。

この冬の僕のテーマは2007年に向けての12月いっぱいは
「準備期間」~自己哲学を遠くとも深め、いつもより一歩出る、前へ。

2007年の1月2月冬深まりは、そう、いよいよ前に、一歩前に、である。

風邪に気をつけ、行って来ます。

2006年11月15日

・・・。

『最近のリンダは本当にすばらしい。実に読ませる文章である。毎日のようにいじめ自殺が報道される中、この文章ががちっと入ってきた。

「いじめ」自殺を何とかするカギもここにある気がするんだ。

現場でやっている人だからこそ見えることであり、言えることだと思う。そうだな、俺らにもできることはあるんだよな。でもそれにはそれなりの覚悟が必要てこともわかる。

俺も思考中。難しい問題だ』。

同級児玉ありがとう。
しかし、ホント、自殺が多い。
少女少年達から大人まで自らで命を絶ってゆく・・・。

人生は成り上がれる自由もあれば、人生には落ちぶれて逝く自由もあるのか・・・。
確かに両輪だ。確かに。

大人である我々が死んでゆくにはやはり理由がある。
トドノツマリは「自業自得」であったり、でも、究極では「孤独」であったり・・・。
でも、それを救えなかった我々の責任でもある。
そう、「何もできなかった」んだ。
でも、その人は死を選ぶ事を選択したわけでもある。
「・・・・」、考えることでしかないのか・・・。

そして。
もっとも、起こってはいけない自殺がある。
子供のいじめ自殺だ。
小学中学の若い彼らが死んでゆくのに「自業自得」はない。
いじめるやから達に問題がある。

いいな、死んでは、いかんよ!!

2006年11月13日

思考中。

どうアガコウトモ、どうモガコウトモ、我々は生を終える日が来る、来るんだ。
望もうが望むまいが。人に優しくしても人から罵倒されても結局は自己の命をどうするか?である。
そう、人生は自分自身で自分指針。
自らで行き先を決める、そして自らで決めた道に自らで向き合ってゆく。

これからの時代、「強さ」が求められる。
それは核兵器でもなく、高速ネット回線でもなく、拳の力でもなく。
僕の思う人間の本当の強さとは自己の弱さに向き合えることだと。

批判することは、大して重要ではない。
批判されたときにその人の本当の価値が問われる。
『確かにその通り、改めよう』
『いいや、まったく違う。僕はこうなんだ』
何でもいい。そう、話し合えるか否か?。
意見することより重要は、意見されたとき、である。

いじめ問題で思うは
「あの子の苦しみを気づけなかった」という親ならホント、その親はそれまでの人生が如何に傍観者だったかがわかる。
あなたは当事者なんだ。

先生ももっと反論してもいい。
「自分達に、躾まで求めないでください」と。
そして、あんなろくでもない先生がいるなら、無責任の塊の教育委員会なら、もっと若手の先生やミドルクラスが声を挙げないと何も始まらない。
テレビの中の人ではなく、あなた自身なんだ。
そして、コンビニ前のタバコヤンキーを注意する僕自身なんだ。

声を挙げれない自分自身、大勢に流れてしまう自分自身。
如何に向き合う事ができるか?である。

僕は今、本当に自分が花園へ向かってゆく後輩達とこの先一年間、向き合ってゆけるか・・・
今思考中である。

「いじめ」自殺を何とかするカギもここにある気がするんだ。

結局僕は子供達に、この国の子供達に、
『弱さを隠さず向き合って、そして笑い飛ばして生きていって欲しい』
って言いたいんだ。
『僕も弱さとモロサの塊です』と。

2006年11月10日

僕に何ができるのだろうか・・・その②。

18年度の花園挑戦、ご苦労さまでした。
結果は残念ですが、選手一人一人が「何か」を
感じ取ったと思うので、伝統継承は続きそうですね!
メールにもあったように「感謝」の気持ちを選手達が
もったようですし、その部分だけでも人間的に成長したな
と感じるし、その部分では全国レベルに近づけたんじゃないかな?
とは感じました。

今年の良し悪しを踏まえて来年の挑戦に期待したいと思います。

自分の方も入部してからのチームのゴタゴタもようやく終わって
個人的にも慣れてきたとこだし、カラダの状態もどの程度なのか
把握できてきたとこなので、前半戦全敗という感じですが、
12月からの後半戦で巻き返せるようにやって行こうと思います。

ps
シーズンを終えた3年生(選手・マネ)に「ご苦労様」と伝えておいて
ください。
3年生がラグビー部に残したものは伝統の一つとして残されていくし、
これからはOBとして、卒業しても胸を張ってグランドに出て
自身のリフレッシュ&後輩の成長を見守れるいい風習を引き継いで
いって欲しいと思います。
卒業する前にその風習を先輩から3年生に伝えてもらえると
来年・再来年の挑戦に弾みがつくと思うのでお願いします!
(1・2年生だけだと練習の人数不足も気になりますしね(笑 )

僕に何ができるのだろうか・・・。

準決勝の日はお疲れ様でした。
非常にいい試合でした。
本当に自分の情けなさを感じると共に、3年生への感謝の気持ちでいっぱいです。
3年生のみなさん3年間お疲れ様でした。
延岡東戦で見せた3年生の姿は絶対に忘れる事はないし、夢を1、2年が引き継いでくれるハズです。あの試合を見て、燃えない方がおかしいし、絶対来年こそは延岡東に借りを返して、テレビにでると言う脩平の言葉を聞き、もう東に負けた時から闘いは始まっているんだと感じました。
林田さんが練習にこなくなると言うのを、ヒサアキ君から聞きました。
林田さん。本当に闘いをやめていいんでしょうか?
3年生が闘い続けてきた集大成が準決勝だった。
勝敗が全てではないけど、いい試合だったけど俺達は負けたんだ。
本気であの試合はみんな勝ちにいっていたんだ。
それをいい試合だったからって闘いをやめていいんでしょうか?
俺達は今年の3年生柏田さん、橋本さん、修一さん、康由さん、山田さん、宝さん、山口さんの為にも闘い続けなくてはいけないんじゃないんでしょうか?
俺達には林田さんが必要です。
これから1年大変大きなエネルギーが必要になってきます。
ゆっくり考えてくれないでしょうか? お願いします。
みんな林田さんを頼りにしているんです(*д*;)
ゆっくり考えて下さい。 借りを返しにいきましょう。

2006年11月09日

11/8(水)「準決勝」を振り返って。

朝起きたのがAM7時15分ごろ。
最近はこの時間。
しかし、本当によく眠れる最近だ。嬉しい限り。
よく眠れるってことは一番幸せなことかな・・・。ありがとう、枕に布団に毛布の三点セット。

さて、今日はお休みをもらい、一路宮崎市木花へ。そう、母校決戦の日。
今日勝てば日曜の決勝へ。
で、今日の準決勝は、この間のブログにも書いたとおり、延岡東戦。優勝候補だ。
僕としてはこの今年のチームがここまで来たことでまぁ、僕なりの役目は果たしたと思う。
今日の延岡東戦は今年のこのチームの集大成を出してほしい、出し切ってほしい。
すべてをぶつけて欲しい。

11/6(月)に練習に行ったとき、僕は彼らが本気で勝ちたいと思っているのを感じる。
ホント、人生は「自身」を「自信」を持つことの重要さを感じる。
6月の佐土原戦はホント気力の無さの集大成だった。すべてのプレーに遠慮と迷いがあった。
で、僕は僕なりにこのチームに関わろうと思ったのです。僕はその試合を見て「彼らの力」をアップさせるのではなく、彼らの力は「もっとあるんだ」を言いたくて。
遠慮しても迷ってもいい、その自分と向き合ってその自分に打ち勝てと。
そう、「敵に勝つというのなら、まずは己を知ってみよ」である。
人生に迷いなんてあって当たり前。僕は一緒にグランドという現場でそのことを伝えたかった。

今日、この今年のチームは終わりました。
涙も出ました。終わってエンジンで僕はこういいました。
「お疲れさん、出れなかった3年山田も、そして3年マネージャーもお疲れさん。まぁ、俺もこのチームに6月から関われて良かった。俺も今日を忘れないし、お前らも忘れるな。今日で試合は終わったけど。これから社会に出る3年は今からが本当の勝負だ。(ホント、この社会は妖怪だらけ・・・)これから本当の闘いだ。頑張れよ。まぁ、今日は、僕から・・・ありがとうございました」。
一礼を。

闘いって何だろう。
僕も人生は闘いだ!ってガナッテルが、ホント、何だろう。
誰との闘いか?
何との闘いか?
いつまで闘うのか?
そして。
本当に闘っているのか?
そもそも。
闘いって必要か?

わからない。
からこそ、闘うのか・・・。

わからない。
でも、今は闘っていたい。
それを実感したい。
実感こそ、「生」を感じるから。

二年生のヒサアキ君が終わって
「林田さん、またこれからも練習に来ますよね・・・」。
言ってくれた。
でも、「疲れたよ(笑)。もういいよ・・・」ってホロッと言ってしまった。
まぁ、でも、少し考えたいな。
来年を見据えていたが、今日のこのチームの必死さを見たとき、大切なのは来年でもなく、明日でもなく、昨日でもなく、「今日」だと感じた。
5人の3年生選手、マネ二人、行くのが遅くなったね、すまんな。

「来年は強い」確かにそうだ。
でも、今日はそれを思いすぎていたことを少し恥じる。
もっと、この今のチームにできることを・・・、早くから・・・。
いやいや、僕はできることはしたよ。
でも、5ヶ月前に気づいた。遅かった・・・。

「これから一年、頑張ろう!」
って思う気持ちは、ほんのり、時をかけて考えてみようか・・・。

二年一年はもちろん、これからだ。選手達はがんばらんといかんぞ。
僕自身はいったんリセットします。いい機会です、土曜から東京です。
都で考えてきます。振り返ってきます。

今回の延岡東戦に途中から出場した二年生からメールを。
『林田さん、こんばんわ 金丸駿介です。覚えているでしょうか?
先日は大変お世話になりました。林田さんと練習できた五ヶ月間はとても短く感じました。
でも僕は林田さんのおかげで大きく成長することができました。その大きく成長した中で一番大きく成長したのは『気持ち』です。 林田さんが来る前の僕は本当に小心者で、一番の役立たずだと思います。
しかし、林田さんは僕の人生を変えてくれた頼もしいお方です。本当に感謝してます。 文章がかなり下手くそでごめんなさい。でも、この文章を僕の気持ちとして受け取ってください。 あとこの文章を金丸駿介らしい文章だと思って頂ければと思います。
本当にありがとうございました。
また林田さんと一緒に練習できることを心から祈っております。よろしくお願いします。
(文章がおかしくて本当にすみません)』

子供達は何も変わっていない。
変わったのは我々大人である。
もっと大人は子供に真剣に、一人一人に。
向き合うべきなんです。

それは根気が要ること、疲労すること。
だからこそ、癒しが大切。
嫁と友達と旅行と。
ありがとう、人生。

行って来ます、土曜から。

2006年11月06日

イギリスの友人より その②

 ラグビー勝利、おめでとうございます!
 良かったですね、本当に!
 ・・・情報が遅いかもしれませんが・・・。
 ゆかりさんもお元気そうでなによりです。
 ゆかりさんがご飯をたくさん食べる様子が目に浮かんで
 笑ってしまいました。

 さて、この間ハロウインの話をしたんですが、
 覚えてらっしゃいますか?
 来ましたよ!子どもたちが。
 といっても、私は用事があって、ちょうど家にいなかったので
 その子供達を見ることができなかったんですけどね。
 残念無念です。
 ジョンがお菓子をあげたとのことです。
 5人来てくれて、そのうち4人は隣の隣の隣の2人兄弟と、
 その友達。あと1人は、その2人兄弟のそのまた隣の隣の
 女の子だったそうです。
 皆魔法使いの格好をして、とてもかわいかったそうです。
 ここはいっちょ、写真でも撮っておいてほしかったんですが
 幼児虐待や、幼児性愛者の問題が起こっているイギリスで
 成年男性が子供の写真を撮るのは、憚られたようです。
 そんなに神経質にならなくてもいいようにも思うのですが、
 気をつけるに越したことはないと判断した模様です。
 こんな風に気をつけなければいけないなんて、やっぱり現代
 はどこにいても難しくなってるな、と思います。
 イギリスで、幼児が殺されたり、レイプされたりしていて、
 本当に嫌になります。
 だからこそ、近所の大人が子供達の様子を気にかけることが
 必要だと思います。
 慎吾さんのメールを拝見していて、益々そう思います。
 挨拶をするとか、そのくらいしかできませんが、私もがんばろうと
 思います。

2006年11月05日

11月4日(土)日記

今日は本当に良かった。実に実り多い一日となった。
人生は戦い「続けること」で花開く。
そして思うは、戦い続けるって、「ホントしんどいなぁ~」。

今朝は宮崎市で目覚める。
昨日の昼から宮崎市に入る。今日のPM1時20分からの花園予選宮崎県大会2回戦観戦の為に前日入りを。そして最近残業ばかりの嫁のリハビリを兼ねての小旅行。
昨日昼から日向を出てPM4時ごろ宮崎市に着く。
ホテルについて少しゆっくりする。のちに、歩いて15分の市街地へ。
PM6時過ぎに宮崎市街地の「GOO」へ。
最近、友人がここに勤めることになり、一度行ってみたのが9月末。
二回目、今回で。
しこたま呑んで、喰って・・・二人であわせて10,700円。
嫁は僕と同じくで、生一杯、梅酒5杯呑む。
食べ物は僕より喰ったよ。残業のストレスは大食で発散か・・・。
満足そうな嫁を見ると明日は勝てそうな気がする・・・。

このお店、「GOO」は皆さん、ぜひ行ってみる価値があるよ。
ネギトロとアボガドの生春巻は絶品だ。梅酒がまたいい、豊富でいいよ。

で、歩いてまたホテルへ。
帰りにしこたま呑んだ酒を出ドックスするために温泉ぱうぱうへ。ロウリュを二度、そしてサンドバスを12分。がっぽり汗が出ました。でも、+呑んでの入浴はいけない、かなり疲れました。
でも、かなりすっきりしましたよ。
ホントかえる道中はすっきり感と冬の冷たさがマッチしていい気分でした。
嫁は温泉には入らず、休憩室で寝てたみたい・・・。ホントはこの人にはストレスは無いのかも・・・。

で、昨夜はPM11時半ごろ寝入る。
起きたのが、今朝AM6時半ごろ。宮崎市を歩く。僕はあれだけの量を飲んだのにまったく酔いは無い。しっかり出ドックスされていたよ。気分のいい朝です。
最近ホント、朝に人生を感じます。ありがとう、朝日さん。
感謝します、お父さん、お母さん、お嫁さん。

グリーンホテルは朝飯タダ。
「おにぎり二個・パン二枚まで」の看板に僕以外の泊り客はパン二枚かおにぎり二個を選択。僕はおにぎり二個・パン二枚を頂く。そう、人生は朝飯だ、人生はルール違反こそ面白い。
寝巻きのまま散歩を60分ほど大淀川沿いを。そのままホテルのレストランで朝飯を。嫁はジャージ、僕は寝巻き。その他の連休旅行客はしっかり身支度して朝飯を。
「化粧や服装に時間をかけるなら、朝の空気を吸って来い!」
叫びそうな33歳、油断するとホテル内不審者僕自身。

綺麗な服装カップル二人がコーヒーとパンをヒトカケラノミ・・・。
笑顔もなく、会話もなく・・・。
「あ~ぁ、この国は嘘っぱちだらけですよぉ~!」
ホント、叫んで捕まりそう・・・・。

ホテルを出て一路、木花運動公園へ。AM10時過ぎには着く。
会場へ入ると、AM11時からの優勝候補高鍋がアップをしている。もちろん相手チームも。
会場は出来上がっている、活気ある雰囲気。やはり高校ラグビーは、この11月の花園予選が一番面白い。これを目指して一年、三年と創って来るのだから・・・。
「僕自身にもこういった過去があったことを嬉しく感じる」。

会場でゆっくりストレッチをしてすでにスパイクを履いて日向高校の試合前アップに備えていると(気が早い、試合に出る気か!)知り合いに大勢会う。
国体で一緒にプレーした友、川南クラブの先輩河野さん、日向ラグビ-スクール校長栄蔵さん(15分ほど話す)、社会人クラブ現場監督の先輩、そして最後の最後に節賀恩師に会う。
「慎吾、行きよっとか!?
(日向高校練習に)。今日は日向に勢いがあったな」と。

そう、試合終わって先生に会う。
そう、勝ちました。

いい試合でした。シードの佐土原に勝つ。
6月の高校総体での同じく佐土原戦を見て僕はこのチームに関わりたいと思った。
そして「もっと闘う意志をもて!」を言いたくて。
この日の為に僕は僕なりに彼ら後輩と汗を出してきた、そんな5ヶ月だった。
ホント、良かった。監督や部長も受け入れてくれた。

僕は思います。
戦い続けることで何かが得られる。僕の人生でも忘れられない勝利となった。
「このチームから闘う意志が感じられんぞ!」
「柏田、キャプテンのお前のせいだ!」
「遠慮なく意見を言い合え!」
「花園なんてどうでもいい。大事なのは立派な社会人になることだ!」
後輩たちに言える資格が自分にあるかを自問自答しながら。
いや、自問自答ならぬ、自問自問。
五ヶ月間、五ヶ月をかけて言い続けて来た。

スクラムで首を肩を痛めて何度整体に行ったか(もう年ですわ・・・)。
この僕なりの行動が実は自分自身の支えにどれだけなったか・・・。
仕事での嫌なことの発散になり、いい気分転換になり僕自身の支えでもあった。
このストレスを言語化して後輩育成につなげれば、そのストレスは無駄にならないと、そう誓いながら、考えながら、思いながら・・・。
ありがとう、そして、おめでとう後輩たち。

もちろん、水曜日の延岡東戦が待っている。でも、今夜ぐらいはお互い喜ぼう。
良かった、ホント良かった・・・。
でも、また、闘いは続く、水曜(準決勝)も、日曜(決勝)も、そして来年も・・・。
「継続」ってしんどい・・・。でも「継続」しかないんだなぁ~。
柏田、山田、橋本、ヤス、坂本、マネ宝、まゆ、ありがとう。
君達は僕の息子娘だ・・・。

試合終わって木花を出て、日向に戻る。

夜はジョイフルで役所後輩甲斐君(彼も新青年部実行委員)を誘って話す。
この間の会合について、感じたことを主に。
やはり、この間の会合には少し違和感を覚えてたみたい。
「まぁ、何はともあれ、せっかくの一年だからそれなりに交流ぐらいはしよう」
「でも余計なことまではしたくないよな・・・」
ってなことを話す。約1時間ちょい。
この一年、彼とも深く交流できそうである。

帰って飯。嫁と。味噌煮込み鍋を。
で、疲れがどっと出てPM11時過ぎには寝る。

いい一日でした。
因果応報、報われる。

そして、また。闘いは続く、線路のようにどこまでも。

2006年11月03日

11/2(木)ブログ。

結局は自分を信じるしかないんだと。
僕自身、悩みはある。確かにある。でもその悩みに向き合うことは重要、そして、それにより自己を深めることもできる。
がしかし、その悩みを時にはフリハライ、前に出ることも重要。
そう、どっかでやはり、吹っ切らねばならない時もある、時も来る。
おそらく年を増せば増すほど、やはりそういった時が増えると思う。
そう、勝負の30代である。

今年も後二ヶ月をきったね。
この街も、ホント「冬が始まるよ」だ。
最近で言えば、「盗作がばれるよ」です。
※どうか、マッキー、事実を惜しみなく話してください。
生きるに不可欠はそう、季節感。昨今、大好きな秋を実感しながら生きてます。

朝起きたのがAM7時20分。嫁はいつものように弁当を作っていると思いきや、嫁も寝ていた。
最近異動して、仕事がガラッと変わり残業を強いられる毎日の嫁。精神的にも疲労している模様。
でも、11/11・12に東京へ行くことを楽しみにお互い頑張っています。

疲れてるんだろうって思うが、やはり起こさねば・・・。
起こして今朝はウーロン茶だけ。
こういう時もあっていい。

行って来ますがAM8時過ぎ。
途中実家に寄る。で、AM8時25分に役所入り。今朝はだいぶ遅かった。
「たまにはそういう時もある」。

今日はAM10時半より東郷町にて研修。PM4時半まで。

仕事終わりはPM5時過ぎ。
そのまま、組合の会合へ。
今年の11月から来年11月まで青年部実行委員に。その第一回の会合が今日夕方あった。
自分なりに意見を用意していたのだが、それは今後で、今回の会合の趣旨や今後の活動の方法論について意見を。僕なりに伝えたつもりです。
用意していた意見は言わば、「この一年の僕らの闘うテーマとは?」だった。それについて話したかった。が、そういう感じではなく、「この一年の僕らの闘うテーマとは?」を如何に、なぜ、話すのか?について話すことに。
で、結論は次回持ち越しで、11/9(木)にまた改めて話すことに。
今度こそ、中味のある、質の高い意見を交換したい。
発してゆきたい、そう思う、勝負の30代、そして2007年になるだろう。

終わって同じく新実行委員の役所後輩「小野」と夜飯を食いながら、ドライブをしながら今夜の会合の反省会をする。二人で一対一で。
道産子ラーメンの塩バターコーンラーメン、餃子を奢ってもらう。
すいません、後輩に・・・。
奢ってもらう30代でもある・・・。

「慎吾さんのお陰で面白い一年になりそうですわ・・・」と。
「ありがとう」。

そして。
「本当に闘っている人間」と「自分は闘っていると思いたい人間」は、決定的に違う。
僕はどっちかわからない。それは一年後、小野君や若手、そして今期の青年部長高瀬さん達が判断するだろう。
僕が「意見だけの人間かどうか・・・」。
そういった意味で僕も冒頭に書いている通り、勝負の2007年かな。
今ある煩悩を振り払い、「向こう一年ぐらい」は「何かしら」を「貫いて」ゆきたい。
まぁ、でも、僕のこと、結局は、煩悩と悩みと共に生きてゆくのだろう・・・。

日向高校母校ラグビー部も、青年部(この名前が嫌いだが・・・もう33歳が青年とは言わないだろう)や庶民派漫才、そして良き夫、良き近所のおっさん・・・。
また明日から、一層、忙しくなりそうだが、「嫁と旅行に行く時間」を「二人で一緒に散歩する時間」を確保しながら、忙しく生きてゆきます。

まずは何より、僕はいい夫でありたい。
でも、グラビアアイドルで勃起している夜な夜な・・・
勃起する自分を忘れたくない30代(なんのこっちゃ・・・)。

そして、2007年はまずは「花園」へ、である。
来年の11月まで長い道のりを後輩達と真剣に向き合うのです。
向き合う姿勢の基本は一対一。
母校の後輩達と哲学することを一緒に学びながら、日向高校「初」全国大会へ。
「懸命」に「必死」に。

僕らはいづれ、必ず死ぬんだから、命を懸けて。

その後、甥っ子二人と銭湯へ。連れ出して行って来た。
僕は今、92.6キロ。参った・・・。
風呂上りは91.6キロ。
2006年はまずは青年部より、ラグビーより、何より健康~痩せること、である。

帰りにコンビニに寄る。ジュースを買って、嬉しそうな二人を見ると、仕事の疲労も自分のテーマも忘れ、
「生きてるだけでイイジャナイか・・・」
そう、思ってしまう。
そう、人生は命ある限り、である。

嫁が帰って来たのがPM11時前。今夜も残業でした。
夜中、モスバーガーに行く。旨過ぎたが、胃は異を唱えている。

また明日。

2006年11月01日

今を生きるんだ

「絶望があって始めて本当の希望が生まれる」。
今の若者の目がギラギラしてないのは希望や夢がないからではなく、本当の絶望や本気の失望を知らないからである。
精一杯本気で闘わないと「失望」や「絶望」は味わえない。

この間テレビで、戦争後で病人が多く医療がまったく足りていない国に日本人医師と看護婦が海を渡った番組が流れていた。(どこの国かは忘れた)
義足の子供達を診察して薬をやったり栄養が足りない負傷者や病人を看護していた。
そこでの看護婦と義足の子供のやりとりで興味深い会話があった。

義足と触れる地肌は気をつけないと傷になり化膿するらしい。
少しでもその子供にあう義足をと頑張っていた看護婦に子供は
「お姉さんのもっているペンやノートが欲しい」
と言うのだ。
義足の充実よりも未来への実感が欲しいのだろう・・。

その言葉にハッとした看護婦。
その子供が一番望んでいるのは将来に対して「希望」なのだ。
そう、子供は勉強をしたいのだ。
例え身体が傷ついて障害を持っても「希望」だけは失わない、いや、失えないと言った方が言い当ててるか。

戦争で親を亡くし、友達も行方不明。
自分の足は片方しかない。
でも、この子供的には片方はある、なのかな・・・。
やるせない気持ちを持ってただ誰の為にもならない殺しあいが終わるのを待つだけ・・・。

生き残ったこの命のベクトルは未来へと。
「勉強がしたい・・・」。
生きるというのは、やはり前を向いて歩いてゆくしかない。

そして我々平和な日本。
平和であることは誇っていいこと。

今の時代、何でもできる。
やりたいことがあるなら君自身が身を削って奮闘せよ。
もちろん、簡単にはいかない。
そこで失敗して失望して学ぶんだ。
そしてまた立ち上がる。
命というロウソクには限りがある。
そう、精一杯だ。
今を生きるんだ。